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書いた100日、書かなかった100日。

つづける覚悟とやめる勇気、どっちが正解とかあるのかな。

2021年1月1日から100日間つづけて、日記を書きました。毎日書くことで、ちいさな日常をたくさん感じることができて。ただ、ちょうど100日経った4月中旬に「やめます!」と更新をやめました。

そして更新をやめて、今日で100日経ちます。つまり、今年は100日と100日を合わせて、200日経ったんですよ。早いよねぇ。

心の中でひとつ、100日間の更新をやめたときに「次の100日間はnoteを書かずにいよう」と決めていました。だって楽だもん。あと、100日間書いた感覚と、100日間なにも書かなかった感覚を、比較してみたかったんです。なにか気づけそうじゃないですか。

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ちなみに、100日間で更新をやめた理由は「力不足!」と結論づけたから。毎日書くことへの力不足を、日に日に感じて。

ひとつ。いい文章が書けない。ごまかしているんです。容疑者みたいなもんです。苦手なボーリングで偶然取れた、ストライクみたいなもんです。「うまいやん!」って言われても、まぐれなんだってば。

マラソンを走るとして、数kmで息切れする僕と、1km4分ペースでフルマラソンを走る人は、基礎体力が全然違う。まさに、体力不足。

だから、毎日休むことなく文章を書かれている、無尽蔵のスタミナを持つ方々は、鉄人です。

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ふたつ。体力不足はすぐ文章に出る。流れはパターン化するし、語彙は被る。「前も書いたぞ、この表現…」と。それを変えようとして、崩れていく。ある有名な編集者さんが、「文章は自分がいままでにインプットしたことしか書けない」と言っていた、と友人が言っていたけれど、ぐうの音も出ない。「これ以上書けんぞ…」って思ったもの。

しかし、なにより良かったのは、この感情は走ってみなきゃわからなかった、ということ。テレビ越しに「もっと早く走れるだろ!」と言うのではなく、自分で走って、息が切れたわけで。それを感じたい、とも考えていました。自分に対して「身の程を知れ!」と。僕は上司や同期のいないフリーランスだから、自分でなにかを課さないと、すぐ置いてけぼりになってしまう。その不安や焦りを、自分自身のために使いたかったわけです。

さらに、2月からほぼ日さんで『神田の写真。』という連載を持たせていただいて、そこで文章に対するむずかしさを、より一層感じていました。200字前後ぐらいの短い文章のときもあったし、文体も回の途中で、敬体から常体に変わっています。たくさんブレちゃってる。

それに連載は週2回のペースだけれど、毎日書いていたnoteより、特に最初の方はよっぽどむずかしく感じられて。それは毎日書くことより、いい文章を書くことの方が、遥かにむずかしく、凄いことだと感じられたから(僕はまだまだ、いい文章を目指す必要がある)。週1回、月1回、雑誌、新聞、Web、ジャンプ、どのような場所であれ、定期的に文章や絵をかいている方々は、こんなにすげぇんだ、と心の底から感じました。いまも心の底から、リスペクトの感情しか湧きません。

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だから、noteを書いていない間も、文章への興味はどんどん持つようになって、いい文章と出会うと、いままで以上に心が感動するようになりました。「なんじゃこの文章は!」って。

そして、書く行為はこれだけのエネルギーを要するのか、と感じると同時に、文章のプロフェッショナルの方々も、同じ気持ちで戦っているんだなぁ、と感じるようになりました。たとえば田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』や、古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を拝読したときは、全身滅多刺しのような心境だったけれど、同じ立場にあたるプロフェッショナルな方々の感想も、結構同じ答えなんだなぁって。戦ってるんだな。そういう人たちこそ、真剣に、向き合ってるんだな。だから、僕はもっともっと、もっともっともっと、吸収しなきゃいけない。

あと、noteを書くことはやめたけれど、ノートに字を書くことは増えました。手帳に日記をつけること、気になった感情をすぐにメモすること。無印の無地の単行本を買って、好きな言葉を複写することもはじめました。いま100ページを超えたぐらいだけど、それもすごく楽しい。やっぱりいい言葉と触れられることはうれしいし、noteを書かないときも、日常のちいさな出来事に敏感でいたいと思っています。

いまはとにかく、いろんな本を読むこと、映像を観ること、人の生き方を知ること。僕は写真家を名乗っていて、まだまだ力不足だけれど、写真はもちろん、いろいろなジャンルに触れていたい。それをつづけていたい。遠回りかもしれないけれど、なんだか生きている感じがするんですよね。そうやってもがきながらだけど、自分の写真に近づいていきたい。

どう作るかよりも、どう生きるかだ。
ー辻村史朗氏。陶芸家。

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冒頭で、「つづける覚悟とやめる勇気」と書いたけれど、「つづける勇気とやめる覚悟」と書いてもいいわけだし、結局はどちらでも良くて、いずれにせよ、前に進もうとする勇気と覚悟そのものが、いちばん大切なのかもね。

(*ヘッダー写真は、使う場面がなくなってしまった、この前の選挙に出てた方です。調べてみると、当選されてました。)

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仁科勝介
ポカリスエットを買います。銭湯に入ります。元気になって、写真を撮ります。たくさん汗をかいて、ほっと笑顔になれる経験をみなさんと共有したいと思います。