【岩崎弥太郎】海援隊から三菱へ!
1、僕と岩崎弥太郎
みなさん、こんばんは。
松本です。
高知県出身の英雄といえば坂本龍馬が有名ですが、僕が尊敬する高知の偉人の1人が”岩崎弥太郎”です。
僕が高知にまだ住んでいた頃、高知県安芸市に設立された岩崎弥太郎像を見に行ったことがあります。
※一般社団法人 安芸市観光協会 公式ホームページより引用
https://www.akikanko.or.jp/kanko/yatarouseika.html
安芸市は太平洋と山に挟まれた穏やかな場所です。
そこから日本経済を支える三菱財閥の創始者が誕生するとは、、、
2、岩崎弥太郎の歴史
岩崎弥太郎は坂本龍馬が結成した海援隊の会計を担当し海運業を学ぶ。
そして当時の土佐藩の財政難を解決するために土佐藩時により九十九商会が設立され、その商会の現場責任者に岩崎弥太郎が着任したそうです。
そこから時代は進み、廃藩置県をキッカケに九十九商会のトップについた岩崎弥太郎は組織の名前を「三菱商会」に変更しました。
3、三菱マークの由来
三菱商会の「三菱」は九十九商会が所有していた船の旗に土佐藩藩主の山内家の家紋「三ツ柏」と岩崎家の家紋である「三階菱」を合わせたマークから名付けたそうです。
4、まとめ
そこからの三菱商会の発展は史実通り。
岩崎弥太郎恐るべし!
ただ、岩崎弥太郎も最初は海援隊というコミュニティに所属し経営を学び、そこから独立していきました。
どんな偉人も学びの場所と学びの期間はあったようですね。
大きな成果を作りたい人がいれば、学ぶべき場所を定め、まずは学び体験と経験を蓄えることも大事かもしれませんね。
以上、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
松本 昭典