都市空間としてのラチッタデッラ考
きっかけ
神奈川県川崎市にラチッタデッラという商業施設があります。ヨーロッパの街並み風の見た目が特徴的な施設ですが、埼玉県民の筆者は今まで行く機会はおろか存在を知ることさえ全くありませんでした。
きっかけは2021年。応援している名取さながラチッタデッラ内にある映画館を誕生日イベントの会場とし、その付随企画として施設内を散策する動画や施設内の店舗との協賛企画が展開されました。彼女はその後毎年ここでイベントや企画を開催するようになり、ファンである筆者も年に数回は訪れるようになりました。そんな中で筆者は、改めてこの施設が実は都市空間として興味深く、またまちづくりという観点から示唆に富んでいるのではないかと感じるようになりました。
そこでこの記事では、都市空間としてのラチッタデッラを捉え、その特徴を分析するとともに、そこに潜む示唆を提示してみたいと思います。
チッタの概要
ラチッタデッラ(以降「チッタ」と称します)は川崎駅から南に徒歩10分程の所にある複合商業施設です。面積は約16,000㎡。様々なテナントが入居しており、ショッピングモールのようにも見えますが、基本的に屋外であること、核施設がよくあるスーパーマーケットではなく映画館「チネチッタ」であることが特徴的です。その他にもライブホール「クラブチッタ」やスポーツコート、結婚式場も擁し、文化性が強いことが分かります。
そして、何より特徴的なのは景観です。イタリアの城郭都市を模した欧風な意匠の建物や石畳の舗装は異国情緒に溢れており、ショッピングモールのように箱形の建物を被せていないこともあって、商業施設でありながら一個の「街」としての世界観を実現しています。
運営しているのは株式会社チッタエンタテイメントで、百年前(1922年)に東京日暮里に映画館を開業したのが原点の企業です(ちなみに創業家の美須氏が現在もトップを務めています)。関東大震災の後に現在の地・川崎に進出し、複数の映画館が立ち並ぶ映画街「美須街」を形成しました。戦後復興から高度成長期の中では映画館以外の事業(宴会場、キャバレー、ボウリング場、屋内プールなど)に多角化し、娯楽街「ミスタウン」に発展。そしてバブル期に「チネチッタ」「クラブチッタ」をオープンした後、2002年に街全体を「ラチッタデッラ」として全面リニューアルして現在に至ります。先ほどチッタは一個の「街」のようであると評しましたが、歴史を振り返ると元々映画館を核として形成された娯楽街を出自としていることから、今のかたちになることはある意味当然の帰結だったというわけです。
チッタは複合商業施設として概ね成功していると見え、週末には映画館や買い物、また季節のイベント等に訪れる人でにぎわっています。
「みち」の歴史と「ストリート」「路地」の再興
ここから本題に入っていきますが、都市空間としてのチッタの魅力は何でしょうか。もちろんイタリアを模した建物のデザインが秀逸な点も大きいですが、そういう形の部分だけでなく、街中をちゃんと多くの人が歩いてにぎわっていることが注目されます。そしてそれを効果的に生み出している最大の要因は、チッタの「みち」ではないかと私は考えています。
都市は建物だけでは成り立ちません。都市には様々な性質や機能を持つ建物や施設がありますが、それらを人々がどう移動するかも当然に重要です。つまり、都市空間というのは極端に言えば「建物」と「みち」で構成されていると言えます。
では、チッタの魅力を探るために、ここからはしばらく「みち」について考えていきましょう。先述したように「みち」は、原理的には人々の移動=交通という役割を担う空間です。しかしそれだけでしょうか。「みち」を歩くということはただの交通手段というだけでなく、例えばウィンドウショッピングをしたり、街路樹の木漏れ日を楽しんだり、誰かと一緒に雑談したり…と実は非常に多義的な営みが含まれる空間でもあります。
歴史を振り返ってみると、江戸時代までの日本では「みち」はそうした多義的な営みを広く受け入れる、寛容で曖昧な空間でした。江戸の「みち」は道端に沿道住民の私物が置かれていたり、屋台が出てきて食べ物が売られていたり、あるいは子どもたちの遊び場や人々の交流の場となっていたりして、にぎわいが生まれていました。そうした営みは誰に咎められるでもなく、「みち」の中で交通機能と共存していました。かつての日本の「みち」は、そうした玉虫色でグラデーション的なものでした。
しかし、明治に入り西洋の都市計画が流入すると、そうした玉虫色は見直されることとなります。「みち」は「道路」という交通のための公共空間として定義され、勝手に私物を置いたり屋台を出したりしてはいけなくなり、子どもたちの遊び場や人々の交流の場はそれぞれ「公園」や「広場」などが定義されました(旧来の「みち」に近い歩行者主体の概念として「街路」というものも定義されましたが、あまり広まらなかったようです)。グラデーションからきっちりとした線引きへと変わっていったのです。ただここで留意すべき点として、西洋に玉虫色の「みち」が無かったわけではありません。欧米の旧市街の街並みの中で人々が滞留しにぎわう「みち」の光景が思い浮かぶ人は多いと思います。先述した線引きはどちらかというと、洋の東西を問わず馬車や自動車という車輪交通の普及によって歩行者を切り離す必要が生じた、という性格が大きいと考えられます。
ともかく、日本でも世界でも、「みち」は「道路」として、歩行者を排除した車のための空間、交通機能を処理するための空間として整備されていくようになりました。それは安全や交通利便性という面では優れていましたが、人々の楽しさや生活の中のうるおい、あるいは回遊性や街としての魅力という意味ではそれらを損なう副作用も生じました。
昨今、「幸福度」や「QOL」といった言葉に代表されるように、生活や人生の質的向上が本質であると重視されるようになってきています。「みち」においてもその潮流を受け、豊かな生活時間を送ることのできる「ストリート」という概念が世界的に注目され始めています。これは前提として「みち」を歩行者主体としつつ、景観性の高い植栽や舗装を施したり、沿道建物との連携性を高めたり、あるいは道端にカフェスタンド、ベンチやテーブルセットなど(こうしたものを「ストリートファニチャー」と呼びます)を設置したりして、移動だけでなく滞留してくつろいだり、交流や遊んだりする時間を過ごすことができる、グラデーション的な「みち」空間を再興しようというものです。さらに言えば、そうした「みち」を骨格とした歩行者主体のウォーカブルなまちづくりによって、まちなかの魅力や回遊性を向上させ、人口減少社会の中で交流人口を増加させて地域を維持・活性化させようという考え方が全国的に叫ばれています。
こうした発想は欧米で勃興した「人(歩行者)が車から「みち」を取り戻す」という動きに端を発していますが、先に述べた通り日本においてもかつて同じような「みち」が存在していました。また、日本の都市においては広い通りだけでなく建物の間の狭い道も子どもたちの遊び場や井戸端会議のような交流の場になっており、そのような概念は「路地」とも称されます。
つまりまとめると、前時代的な「道路」を脱して交通機能以外の様々な営みを受け入れるグラデーション的な「みち」がいま再興のときを迎えており、その中で広く開放的なものを「ストリート」、細く密集したものを「路地」と呼ぶことにします。「ストリート」では、滞留してくつろいだり人と交流したりする居場所が生まれます(こうした場を、自宅でも職場/学校でもない第3の居場所として「サードプレイス」と呼びます)。「路地」は建物=お店との距離が近いことや狭くて先を見通せないことから、回遊性という意味で街を探検するような“迷う楽しさ”が生まれます。いずれも街の魅力を向上させる、これからのまちづくりにおいて重要となる概念だと考えられます。
法制度上の課題
さて、「ストリート」や「路地」を現代に実現しようとする試みが各地で始まっていますが、そこには高い障壁があります。「道路」を前提として体系化された法制度が、「ストリート」や「路地」の実現を阻んでいるのです。
具体的に見ていきましょう。「ストリート」や「路地」といったサードプレイスとなるような「みち」では、道端に屋台(スタンド)や、そこで買ったものなどを飲み食いしたりくつろいだりできるベンチやテーブルといったストリートファニチャーが必要になってきましょう。しかし、道路上にそういったものを置くことは容易ではありません。法制度上は「道路」はあくまで交通を処理するための空間と定義づけられているため、交通機能に資さないものを勝手に設置することは認められません(道路交通法、道路法に抵触します)。正攻法としては、交通管理者である警察に道路使用許可を(恒常的に設置する場合には加えて道路管理者(主に行政)に道路占用許可も)取らないといけませんが、一時的なイベントか、もしくはまちづくり施策の一環などでよほど調整をしない限り基本的に許可は下りないと言われています(博多の屋台など長年の調整で認められているものもあります。ただ、よく飲み屋街などで見かけるようなイスやテーブルが店から道路上にはみ出して置かれているものは、大抵の場合無許可で警察から注意されることもあるようです)。円滑な交通の維持に加えて「公共空間で勝手に商売してはいけない」という意味合いもあるため、すぐに撤廃すべきようなルールでは決して無いのですが、豊かな「みち」空間の実現には高いハードルとなってしまっています。
また、「路地」については加えて、幅員や線形、断面構成が問題にもなります。「路地」は狭くて迷路のように曲がりくねっているからこそ面白く、かつ自動車の流入を物理的に防いで歩行者が気ままに散策できるものです。しかし防災上の観点もあり、いくら「路地」であってもそこが「道路」として定義されている以上、「道路」を前提としたルールに従わないといけなくなります(ちなみに「道路」として認められていない「路地」もありますが、そこを出入口とする建物が建てられないなどもっと厳しいことになります)。具体的には、建築基準法において「道路」は緊急車両が通行できることを前提として原則幅員4m以上でなければならないとされています。幅員が4mに足りない場合は建物を建て替えるときに幅員4mになるよう(道路の中心から2m確保できるよう)後退して建てなければならないと定められており、また線形や断面構成についても緊急車両が走れるようである必要があります。つまり、新たに道路として狭く曲がりくねった「路地」をつくることは基本的に不可能であり、なおかつ今あるものについても解消を迫られているという、法制度上は招かれざる存在なのです。
チッタに見る解決策
ここまで「ストリート」や「路地」の価値の見直しと再興、そしてそれらに立ちはだかる法制度的な課題について説明してきました。ここで目線をチッタに戻してみると、チッタには「ストリート」も「路地」も実現できていることが分かります。チッタ北側を東西に抜けるメインストリート「チネチッタ通り」は広く開放的ながら自動車は通らず、道端にはベンチや植木鉢、キッチンカーや食事できるイスとテーブルなども置かれていて、歩行者でにぎわう「ストリート」となっています。また、チッタのメインエリアであるマッジョーレ棟には細く曲がりくねった「路地」があり、螺旋状に構成されたその沿道にはお店が並んでいて、こちらもレストランの前にイスとテーブルが並べられ「路地」の中でくつろぐことができます。こうした魅力的な「みち」を備えているからこそ、チッタはにぎわいに溢れ、都市空間として特筆すべき存在になっていると考えています。
しかしながら先に述べたように、「ストリート」や「路地」を実現するのには法制度的なハードルがあったはずです。ではチッタはどのようにしてそれらをクリアしたのでしょうか。
解決策1:道路と民地の一体的景観
まずは「ストリート」の方から見てみましょう。チッタには広い通りが3本(北側を東西に抜ける「チネチッタ通り」、西側を南北に通る「クラブチッタ通り」、東側を南北に通る「名画通り」)ありますが、それらはいずれも川崎市道すなわち公道となっています。その中でも「チネチッタ通り」がメインストリートとしてシンボル的な景観とにぎわいを構成しており、先述した「ストリート」を体現しているわけですが、公道においてどのようにそれを実現しているのでしょうか。
「チネチッタ通り」にあたる川崎市道小川町1号線は、川崎市の都市計画情報(認定路線網図)を確認すると認定幅員が11mとなっています。しかし現地や航空写真で確認すると、実際には約15m以上の道幅があります。これがカラクリとなっていて、つまり現実には幅15mほどある道のうち「道路」として扱われるのは真ん中の幅11m分のみで、残りの両側約4m(場所によってはそれ以上)は単なるチッタの私有地、公共的な管理下に無い民地なのです。この部分は実質的に「みち」空間を構成していながら、法制度上は「道路」でも何でもないただの私有地であるため、ベンチや植木鉢、キッチンカーやテーブルセットなどを置いても何ら問題ないというわけです。実際に確認してみると、道の両端ではない中途半端な位置に側溝(排水溝)が設けられており、場所によってはその位置に線も示されています(上の写真を参照)。そしてそこより道の内側には、一般的に道路占用で認められる標識、街灯、街路樹、または市と警察の名前で置かれている通行制限の看板以外のものは一切置かれていません。したがってこの部分が「幅員11mの市道」であると推定できます。そして、それより外側の民地部分において「ストリート」を構成するストリートファニチャーであるベンチや植木鉢、キッチンカー、テーブルセット、あるいは立て看板などが置かれており、道路使用/道路占用といった「道路」の法制度に抵触しないようになっています(おそらく施設運営会社が沿道の各店舗にも「側溝を超えて物を置かないように」と伝えているのだと思います)。
この解決策の中で優れている点は何と言っても景観の一体性でしょう。“道路状民地”を連続的に取ることができるのは広い施設内を道路が通っている環境ならではで、個人店舗が並ぶ通りなどではハードルが高くなります(いくつかの雁木通りや横浜元町など偉大な事例もあります)。なおかつ「道路」内にある街灯の意匠や石畳の舗装まで一体的な景観になっているのは、道路管理者である市との調整を含め、映画街時代からの流れを汲むチネチッタ通り商店街振興組合(チッタのみならず周辺の店舗で構成)のまちづくりとしての取組の賜物とのことです。こうした優れた設計によって、来訪者はどこまでが「道路」でどこからが民地かを意識することなく全幅を一体的な「みち」として認識し、広々と闊歩することができるのです。なおこれについては、「チネチッタ通り」の大部分が深夜早朝を除き歩行者天国となっていることも大きく作用しており、にぎわい創出に対する市や警察の協力姿勢が窺えます。
解決策2:建物内の通路という扱い
続いて「路地」について見ていきましょう。こちらの解決策はある意味大胆であると同時に極めて堅実でもあると感じたのですが、端的に言えば「単なる建物内の通路」、いわば廊下としています。チッタの中で「路地」空間のあるエリアはマッジョーレ棟ですが、「棟」と示されている通り、小さな建物が建ち並んでいるように見えて実際は全て一つの建物という扱いになっているわけです。建物の上でありながら“建物状”の構造を並べることで街並みを疑似的に再現するという手法は、建築思想におけるメタボリズム的人工地盤のようですらありますが、壮大すぎたあまり坂出人工土地くらいしか実現しなかったそれと違い、チッタではそうした高尚な思想とは別の場所でミクロかつテーマを絞ったコンセプトによって有形的に具現化を成功させているとも言えます。
…と大仰に書きましたが、実情としては「一つの建物を街並み状に見せる」という建築物の設計が優れているというだけで、法制度的課題の解決という面では「単なる建物内の通路(廊下)」という極めて堅実な策となっています。ただの建物内なので建築基準法上の「道路」の話はもはや全く関係なく、「建物内の通路」として問題なければ車が通れなかろうが何だってよく(幅については実際にはチッタの「路地」は6mほどありますが)、また路上にストリートファニチャーを置いても何ら問題にはならないわけです。こうした方策は同様の商業施設や屋内型テーマパークを造るときなどにも事実上用いられているものですが、そうした施設よりもチッタの方が遥かに「路地」としての実在感があるのは、やはり屋外に配した設計の妙でしょう。また形だけの作り物ではなく、実際にテナントとして沿道に複数の店舗を入れ、イスとテーブルを並べて食事ができる空間として実用することで「路地」の空間機能を現実に生み出しているというところも、本質的かつ魅力を増している要因だと感じます。
解決策3:建築基準法第86条認定による高密な街並み
最後に、チッタでの「みち」とは少し離れますが、景観という意味で膝を打った解決策を紹介します。
チッタは建築基準法第86条第1項の認定を受けています。これは何かというと、まず建築基準法では原則として一つの敷地に一つの建物しか建てられません(もしくはそうなるように一つの土地を複数の敷地に分けてから建てる必要があります)。この原則によって道路に面しない建物が出来たり建物同士が過剰に密集したりしないようにしているわけですが、一方で広い土地に同じ目的の建物を複数建てるような場合には、接道義務(全ての建物=敷地は「道路」に面する必要があるというもの)を果たすためにわざわざ道路を通す必要があったり、建物=敷地ごとにいちいち高さなどの各種制限(専門用語で言うところの斜線制限や容積率、建ぺい率)がかかったりと非効率なことになってしまいます。これを避けて土地を有効活用できるようにしましょうというのが建築基準法第86条で、構造上問題ないようにすれば一つの敷地に複数の建物を建てても良いですよ、その際の接道義務や高さ制限などは一つの敷地として扱いますよ、という制度です(ちなみに第1項は全て新築建物の場合、第2項は既存建物を含む場合です)。
主に住宅団地や再開発ビルを想定した制度のようですが、接道義務が無くなることから敷地内に「道路」でない自由な「みち」を造って建物を建てることもできるようになるため、広大なアウトレットモールでも活用されているようです。ただチッタではそうした「みち」の実現には使っておらず(全ての建物が「道路」に接しているため)、各種制限の緩和に用いているようです。つまり、この認定によって各種制限による無駄な隙間や高さの抑え込みを生じさせずに建物を建てることができ、それによって高密で統率的な街並みの世界観を実現できている、と考えられます。
ソフト面;施設運営の手法
ここまで「ストリート」や「路地」といった「みち」空間をチッタはどのように具現化したかというハード的な話をしてきました。ただ、形だけ用意しても魂が入らなければ意味がありません。つまりソフト面、本質的なにぎわいをどのように生み出しているかの運営手法についても見ておきましょう。
といってもチッタはテナント型の商業施設というだけで、沿道に位置する各店舗はテナントとして入居して営業しているだけではあります。ただ、街並みを売りにする施設の例として単一の運営会社が全てを司るテーマパークがありますが、それと比べるとテナント型であるチッタは、ちゃんとその建物に入っているそれぞれのお店が主体的に営業しており、各店舗の独自性を含めて色彩のある「街」となっていると感じます。同時に、テナント型であるショッピングモールでは共用通路部分に勝手に何か置くことをほぼ認めないまるで「道路」のような厳格な運用をしている施設も多い中、チッタでは共用部分である「みち」に沿道のお店がイスやテーブルを置いて営業させており、それが先述の通り魅力的な「みち」空間の源となっています。
また、テナント型ではお店ごとの独自性を生み出せるのと同時に、施設運営会社が主導となる緩やかな連帯も持たせられます。例えば施設全体での季節のイベントなどでは、複数のお店がイベントに合わせたメニューやキャンペーンを展開することで、来訪者の回遊行動を促す仕掛けも行うことができます。実際に筆者も冒頭で述べた名取さなのイベントの際にコラボメニュー巡りやスタンプラリーをしましたが、それによって色々なお店を回る(例えばレストランでランチをした後に、かき氷屋さんでデザートを楽しんだりカフェで一息ついたりするなど)という体験はまさに「街中を散策する」という営みでした。
テナント型による各店舗の独自性と緩やかな連帯の共存、画一的にもカオスにもならないバランスの良さが、チッタの街中の魅力の大きな要因だと思われます。
これからの魅力的なまちづくりのヒントへ
「ストリート」や「路地」を体現しにぎわいのある都市空間を実現しているチッタ。しかしながらそのような「みち」が注目されるようになったのはつい最近のことで、チッタが開業した2002年頃の社会にはそんな意識は無かったはずです。ではなぜそれなのに、まるで時代を先取りするかのように今の街並みとにぎわいが実現できたのか。それはひとえに、チッタの出自が娯楽街であり、「魅力的な街を造ろう」という意志と実行力の現れであり、そしてその「魅力的な街」の要件として必然的に「魅力的な「みち」の実現」が含まれていたということだと思います。
前半で述べていたように、歩行者主体の、ウォーカブルな、回遊性と魅力のあるまちづくりが全国各地で求められています。そしてその骨格として「ストリート」や「路地」といった「みち」もまた実現を待たれている状況です。そうした現代において、チッタの手法はヒントになると感じます。まず、法制度上の厳しい規制がある「道路」とそうした規制のない民地を一体的な空間にしてしまうことで「ストリート」を実現すること。民地を公園に読み替えても成立するかもしれません。続いて「建物内の通路」という形を取りながら巧みな設計とテナントに自主性を持たせることで実体的な「路地」空間を生み出すこと。そして最後に建築基準法上第86条の認定によって自由度を高めること。チッタのように全て新築建物の際に適用される第1項の認定によって高密な都市空間を実現することはもちろん、同条第2項は既存建物に適用する制度となっており、これを用いれば場合によっては歴史的な建物や「路地」を残していくことも可能になり得ます(実際に京都市ではこの手法を用いています)。
実のところ上記の各手法は他の場所でも事例があるものではあります。しかし特筆すべきは、こうしたまちづくりが注目されるずっと前に既に実現していたこと、一箇所に複数の手法を取り入れることでより優れた空間を具現化したこと、そして現在に至るまで中心地でのにぎわいと求心力を持続していることです。映画街、娯楽街に出自を持つチッタは商業施設であっても紛うことなき「街」と言え、現に川崎中心地にとってなくてはならない存在となっています。
都市空間としてのラチッタデッラは、これからのまちづくりが考えられていく中において、非常に興味深い存在でした。
主な参考
・ラチッタデッラHP
・イクラ不動産
・ストリートデザインガイドライン - 国土交通省
・かわさき区の宝物一覧 - 中央地区
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