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なぜ自分はこんなことをやってしまうのかと考えるのは無意味
コミュ障の人は「なぜ自分はこんなことをやってしまう人間なんだろうか」と問題が起きる度にいつも考えています。
しかし、この思考には何の意味もありません。
そんな意味のない思考を続けているからコミュ障であり続けていると言えます。
今回の記事をきっかけに、こんな思考になりそうになったら「あ、これ無意味なやつだ」と思えるようにしましょう。
「なぜ自分はこんなことをやってしまう人間なんだろうか」と考えることが無意味な理由は2つあります。
その2つとは
1.問題を正確に見ることができなくなるから
2.疑問の答えは決まっているから
です。
詳しく解説していきます。
問題を正確に見ることができなくなるのは少し考えれば理解できます。
こんなことを考える時には必ず何かの具体的な問題があるはずです。
その問題から自分の「人間性」の問題へとすり替えが発生しています。
「今日やり終えなければいけない仕事を忘れていた」
それは
「昨日の晩酔っ払った状態で仕事の依頼を受けたからだ」
そんな
「酔っ払った状態で仕事の依頼を受ける自分なんてクズだ」
じゃぁ
「なぜ自分は酔っ払った状態で仕事の依頼を受けてしまう人間なんだろうか・・・」
という思考の流れがあったとします。
この思考の始まりと終わりをくっつけて
「自分は酔っ払った状態で仕事の依頼を受けるようなクズだからやらなければならない仕事を忘れていた」
とすると合ってはいるけど完璧にイコールではないですよね。
シンプルに酔った状態では仕事を受けない、酔った状態で仕事を受けないためにはどうすればいいのかと言う思考で事足ります。
起きた問題を自分の人間性の問題へとすり替えがおきやすい状況を創り出しています。
次に「なぜ自分はこんなことをやってしまう人間何だろうか」と言う答えはいつも決まっているという点ですが
答えを言ってしまえば
「自分が(その時点では」こんなことをできない人間だから」
です。
これ以上考えても答えはありません。
考えるべきことは、
問題に対して「できない状態であること」をベースにして「問題にどう対処をしていけばいいのか」
です。
「自分がどんな人間であるのか」はあらゆる出来事の結果でしかなく、何かをやってしまう原因ではありません。
「自分はだらしない人間だ」「馬鹿だ」「忍耐力がない」というようなことが分かったのであれば
そんな自分をベースに何らかの対処法を考えることに集中するしかありません。
「なぜ自分はこんなことをやってしまう人間なんだろうか」なんてことを考えずに、起きた問題に対して対処を繰り返していけば、結果的にいつかは「そんなことをやらない自分」になることができます。
自分で自分の行動原理を理解しようとしても、自分にとって都合の良い解釈しかできないので、そんなことを考えている暇があったら、すぐに問題への対処に移りましょう。