katsumustardの中の人について
かの有名な黄色いクマは言いました。
いきなりカミングアウトするのだが、自分は今、鬱状態と診断されて、メンタルクリニックに通院している。
かれこれ、1年以上になる。
もしかすると、何となく察していた人もいるかもしれない。
最初に鬱状態になり始めた時、仕事ではずっとスケジュールと課題に追われて、家庭では家事と育児に追われて、“何もしない”ができない状態だった。
連日のように課題解決のための会議が行われ、その度に方針があっちこっちに行き来した。
Webでの会議中に感情的になってしまったり、小さなミスを繰り返すようになったり、それまでの自分から何かが変わり始めていく。
疲れて寝ようと思ってもなかなか寝付けなくて、おもむろにiPhoneを触り、ようやく寝付けたと思って次に目が覚めても、部屋はまだまだ暗く時計の短針は右上を指している時の虚しさ。
最終的には、我が子に「最近、パパ元気ないね」と心配される始末。
その言葉がきっかけでクリニックに通い始めた。
今は薬のおかげもあってか、体調については幾分マシにはなったものの、鬱発症以前のメンタルとは程遠いような気がする。
悲観的。現実逃避。無意欲。無関心。刹那的。
いや、むしろ、今のメンタルの状態がベースであって、それを見ないふりして他人の前では隠そうとしていただけなのかもしれない。
最近、ダンテの『神曲』をモチーフにしたのであろう作品に触れる機会があり、そのモチーフの元になった『神曲』にも軽く触れてみている。
『神曲』の煉獄編の中で「怠惰」は七つの大罪の一つとして挙げられている。
その中では「怠惰」という罪を浄化するために、霊魂は常に走り続ける。
ここでいう「怠惰」とは、その言葉からイメージされるだらし無いとか怠け者というよりも、善に対する中途半端や手抜かりがあることを指しているので、例として「七つの大罪の怠惰」を挙げるのは、適切ではないかもしれない。
ただ、「怠惰」の罪を浄化する方法が「走り続ける」というのは、何となく理解できる。
それは今、鬱状態の自分が「無理をして走り続けた結果、怠惰(何に対しても中途半端)にならざるを得ないところまで至った」とも感じるからだ。
少し、話が逸れた。
とにかく、このnoteアカウントで、katsumustardとして、鬱のことを書く意味合いは自分の中でも整理がついていない。
ただ、カミングアウトしておこうと思っただけ。
RAMさんのブログ(この段の文末にリンクを貼っておく)を読んでの、katsumustardなりの秘密の開示かもしれない。
クリニックへの通院、薬物療法や認知行動療法はkatsumustardの中の人が勝手にやっているので、katsumustardに対して何らかのケアしてほしいとかではないし、おそらく、katsumustardとして自身の鬱について触れるのはこのnoteだけだろう、と思う。
もしくは、いつか寛解したときくらいだろうか。
katsumustardとしての存在もかなりの期間になっている。
Twitterのアカウントを作ったのが2009年だから、人生の1/3以上になるだろうか。
何なら、それよりも前、ラグナロクオンラインでのキャラ名が「ますたーど」だったことまで含めれば、人生の半分くらいといってもいいかもしれない。
katsumustardを知っている人の中には、中の人の顔はもちろん、本名などのパーソナルな情報もそれなりに知っている人がそこそこいる。
そうした人を含め、katsumustardを知っている人に対してへの、ちょっとした情報開示をしたかっただけだと受け取ってもらいたい。
ただ、もしも、これを自惚れだと言われても、否定はしない。
とにかく、冒頭で引用した黄色いクマの言うように、”何もしない”が最高の何かに繋がるといいな、と切に願う。
自分は、黄色いクマがいう”何もしない”は『神曲』の中で浄化されるべき大罪の「怠惰」のことではなく、自分自身の気持ちに素直になることだと解釈している。
これは先に挙げたRAMさんのブログの中で触れられている
にも通ずるとも思った。
だから、今、このnoteを書こうと思った。