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旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2012年12月12日記

研究書に限らず温泉の本を読んでいると、「共同浴場」あるいは「共同湯」と表現される浴場がしばしば登場してきます。その文字を目にした時、いつも考えてしまうのが、じゃあその「共同浴場」とか「共同湯」って何?、ということです。おそらく世間的には、漠然と「温泉街の中心部などに所在する古くからの浴場、外湯」くらいの理解だと思います。あるいは、旅館の中にあるのが「内湯」、新しい設備の整った大規模な浴場が「日帰り温泉」、そのどちらでもない浴場が共同湯、でしょうか。ちなみに、小学館の『日本国語大辞典』では「共同浴場」を「公設または私設で、無料またはわずかな料金で入浴させる浴場。共同湯」と説明しています。温泉街で見かけるこのような浴場は、大体が100円から200円程度、無料で入浴できる場合も少なくありませんので、なるほどと思わせる定義です。ですがそうなると、現在一般的な「日帰り温泉」の入湯料は500円から1000円くらいですが、これが例えば100円になれば「共同浴場」ということになるのでしょうか。

江戸時代にも、こういう概念自体は存在していましたが、用語として「共同浴場」が出てくるのは、おおむね明治以降のようです。研究が少ないため、残念ながらここで温泉地の「共同浴場」について明確な定義付けは出来ないのですが、それでも一つ言えることがあります。それは共同浴場の「共同」は、誰でも入浴できるという意味ではなく、維持管理する人たちが共同利用する、つまり、経営あるいは運営主体と利用者が同じ、ということです。少し乱暴ですが、あえてここで不十分を承知の上で定義を示すならば、「共同浴場」または「共同湯」とは「温泉の所有権または使用権を有する財産区や自治会、地区組織らが運営・管理し、その構成員が共同で利用する浴場。無料又は低料金で一般に開放されていることも多い」となります。前段が用語の定義で、後段は付随説明です。異なる見解も当然あるでしょうが、狭義にはこういう運営管理形態と利用者の関係で説明するべきだと考えています。

白石太良氏は、『共同風呂-近代村落社会の入浴事情-』(岩田書院、2008年)で「ここでいう共同風呂とは、主に農村地域において集落単位または集落内の何軒かの家が仲間を組織し、共同の浴場施設を設け、用水と燃料を調達して、湯沸かし作業の交代制などの協力関係を維持しながら、仲間の家族全員が日常的に入浴したしくみをいう」と述べています。温泉では温泉権の問題などもあって複雑さを増すものの、運営者と利用者の関係においては同じです。

残念なことに、現在の温泉史では「共同浴場」という用語一つとっても、定義もなされていなければ、研究もされていません。そんなことを考えつつ、2008年10月、青森県平川市にある切明温泉を訪ねました。切明温泉は江戸時代既に広く知られた温泉場で、香川修庵の『一本堂薬選続編』(「温泉」項)にも、八隅蘆庵の『旅行用心集』にもその名が紹介されています。菅江真澄も訪れ、その時の様子を『邇辞貴廼波末(にしきのはま)』に記録しました。私が訪れた時は集落の中央に浴場の建物が1棟あるだけで宿泊施設はなく、そこが温泉場と知らなければ通り過ぎてしまうような所であったと記憶しています。その浴場ですが、ここでは組合員が1軒ごとに鍵を持っているそうで、風呂当番もきっちり決められていました。浴場の前で、入りたそ~な顔をしていたからか、通りがかった高齢の男性が「区長さんに頼んでみたら」と声をかけてくれたので、区長さんのお宅を教えてもらい訪ねたところ、あっさりと追い返されてしまいました。こういう浴場が本来の「共同浴場」なのでしょう。温泉マニアさんの用語である「ジモ専」こそが、まさに「共同浴場」なのだと今は考えることにしています。

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