「夏休みに温泉に出かけようとする人」
旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年7月25日記
「今ここに夏休みに温泉に出かけようとする人がある。その人にとっては先ず全国の温泉案内書のようなものは甚だ重宝である。それで調べていよいよある温泉に行くとなると、今度はその温泉の案内に明るい人の話が聞きたくなるのである。前に述べた二種の権威者は丁度これに似たものである。前者については一つ一つの温泉の詳しい事は分らないが各温泉の特徴については明瞭な知識を与え選択の手よりになる。後者ではその温泉と他との比較は明らかにならない。」
どなたからだったのでしょう?。温泉の研究を本格的に始めた頃ですから、ある大学の研究所で非常勤をしていた時のことだと思います。「寺田寅彦を読むといいよ」と言われたことがありました。それが誰なのか、おそらく同所の先生だったと思うのですが、実は記憶にありません。「寺田寅彦?」。今から思うと汗顔の至りなのですが、名前は知っていたものの、その著作を読んだことはありませんでした。(温泉についても研究している人だったっけ?)(温泉についても研究している人、でした)。調べてみると、岩波文庫に『寺田寅彦随筆集』全5冊が収められていることがわかり、その日の帰宅途中に神保町の書店に立ち寄って購入した覚えがあります。ただ買いはしたものの、結局「積ん読」状態で頁を捲ることはありませんでした。
一昨年の3月11日以後、寺田寅彦の著作が世間的にも、また学術的にも見直されるようになります。「天災は忘れた頃に来る(やって来る)」が寺田の警句として巷間流布し、その著述の中で地震や津波などの自然災害(彼は人災の側面を常に意識していますが)に対して随所で警告を発していたにもかかわらず、東日本大震災に生かされなかったという反省があるからでしょう。震災以降、新たに畑村洋太郎解説の『天災と国防』(2011年6月)が講談社学術文庫の、山折哲雄編の『天災と日本人』(同年7月)が角川ソフィア文庫の1冊として新たに加えられたのも、このような関心によるものだと思います。私も御多分に漏れず、震災以後に慌てて読み始めました。温泉研究との関わりは別として。
冒頭に掲げた「夏休みに温泉に出かけようとする人」は、寺田寅彦の「科学上における権威の価値と弊害」(岩波書店『寺田寅彦全集』第5巻所収)と題されたエッセーからの引用です。進行しつつある科学(物理学)の分派・細分化に対し、その学習者(研究者)はどう臨むべきかについて論じたものです。引用文の前段には「このような時代においてもしある科学の全般にわたって間口も広く奥行も深く該博深遠な知識をもった学者があって、それが学習者を指導し各部分の専門的研究者や応用家の相談相手になって行くとすれば実にこの上もない事である。しかしそのような権威は今後ますます少数になるだろうと思われる。そうなると止むを得ず間口の広い方の権威者と間口が狭くて奥行ばかり深い権威者か二つに一つよりしかないような場合がないとも限らない。このような云わば一元的one dimensionalな権威といえども学修者研究者にとって甚だ必要なものである事は勿論である。」と記されています。この部分を譬えたのが、冒頭の夏休み云々の文章です。
これを現在の温泉史研究に当て嵌めてみます。「その温泉に明るい人」は、例えるなら特定の温泉地や地域をフィールドとしている研究や研究者のことでしょう。「○○温泉の歴史」や「〇〇県の温泉」的な関心からなされているようなものです。史料の所在についても悉知しており、その温泉地については多くの知識を有しています。自治体史の一環としてしばしば行われる温泉地研究や叙述も、これに含めて良いかもしれません。
ところが温泉史の場合、どこをどう見回しても「全国の温泉案内書」となり得るような学者がいないのです。ある学問が分派・細分化してその重きが次第に細分化側にシフトしていくのは、ある意味斯学の健全な発展段階を示していると言えます。ですが、それも大局的な知識があってこその分派細分であり、そもそも温泉史は、そこに至るまでの健全な発展段階を踏んでいません。最初から「その温泉に明るい人」ばかりなのです。
寺田寅彦の文意や意図は別として、温泉史においても「全国の温泉案内書」と成り得るような、間口を拡げる研究を促すための方法論や枠組みを今のうちに整理しておかないと、今後学問としての進展は望めないのでは、と、この随筆を読んでいて漠然と感じたものですから、ここに記録させていただくことにしました。
【附記】寺田寅彦は、静岡県熱海市の熱海温泉に所在する「大湯間歇泉」について、その湧出システムに関わる論文「熱海間歇泉について」(『寺田寅彦全集』第14巻)を執筆しており、「空洞説」を唱えた研究者の一人としてもよく知られています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?