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玉川温泉のこと

旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年12月6日記 
 
時々、何かの会に講師として呼ばれることがあるのですが、話し終えて質疑応答の時間になると、しばしば聴衆から発せられる質問があります。「今まで行った温泉の中でどこが一番良かったですか?」。「泊まるならどの旅館がいいですか?」。温泉を研究しているのだから、あちこちの温泉に行ったことがあるはず、という前提での質問なのでしょう。勿論、研究する必要上それなりに数はこなしていますし、私にも好きな温泉地や旅館はあります。ですが、この手の質問はこれまで丁重に返答をお断りしてきました。皆さんが訊きたい気持ちはよく分かるのですが、科学的学問的な話題からは逸脱した個人的感想ですから、研究者の看板を掲げる以上越えてはならない一線だと自戒してきたからです。発言した途端、私が最も嫌う温泉地や旅館の太鼓持ち提灯持ちに成り下がってしまう虞があります。たとえお気に入りの旅館に関わる問い掛けであっても、感想は口にしませんでした。

それは、温泉の効能についても同じです。言うまでもなく、江戸時代に認知されていた各温泉地の功能について、歴史学温泉史の範囲内で解説することは間々あります。ですが、現在の効果効能に関する質問に関しては、知らぬ存ぜずを通すことにしてきました。何故なら、私は医師でもなければ温泉療法の専門家でもありません。流石に泉質別の一般的適応症や禁忌症くらいは知っていますが、ただそれだけのことです。一概に効能と言っても千差万別ですし、『温泉をよむ』の冒頭にも書かせていただいたように、高齢者などの場合は既往歴や合併症等を考慮した上で、期待される効能(≒泉質や周辺環境=温泉地)を考える必要があります。ですから安易、いや知ったか振りの発言は厳に慎まねばならないと考えていました。それは、今も変わりません。

そんな私が過去に一度だけ、現在の温泉効能について言及したことがありました。その時の講演テーマが東北地方の温泉地だったこともあって、このような質問が出たのだと思います。「玉川温泉は、本当に癌に効くのでしょうか?」。通常なら解らないとお答えするところなのですが、質問された中年女性のお顔が余りにも真剣であったためか、つい禁を解いて応じる気になってしまったのです。秋田県仙北市の玉川温泉はガンに効果があるとマスコミ等で報道されよく知られている所ですから、何らかの事情を抱えてのご質問だったのかもしれません。もちろん、私は医師でも温泉療養療法の専門家でもないこと、マスコミ等にしばしば取り上げられてはいるが、科学的及び医学的にガンに対する効果が実証されているわけではないこと、それから、あく迄これは以前訪れた際に入湯客と話をした時の私の印象に過ぎないこと、の3点を予め確認した上でのことです。

最初に玉川温泉を訪れた時、強い衝撃を受けました。いつものように気軽に会話しようと同浴していた男性に声を掛けたところ、食道癌の患者さんだったのです。余命半年と医師から宣告され、玉川に通い出したところ今年で8年になるがまだ生きている、と笑いながら話されていました。玉川温泉の旅館は予約がとれないので、毎月10日間程、奥様と共に車に寝泊まりしながら湯治されているとのことです。そんな話をしていると、先ほどまで隣の湯槽で「モルヒネが効かない」と話されていた男性や、一人静かに入浴されていたその他の方も私たちの会話に加わり、私は○○癌、俺は○○ガンと総勢8名による「湯の中会議」になりました。どうやら癌を患っていないのは、私だけだったようです。ある意味、ショックでした。

皆さんの話を聞いていて、思い当たったことがあります。それは、ここでは「病が共有されている」ということです。病院は物々し過ぎる。しかも、治療する医師の多くは、医学的な知識はあっても患者の痛みや気持ちは解らない。それは見舞う家族も同じことで、病苦を推し量ることは出来ても、結局は自らがその立場にならない限り実感として「共有」することは不可能でしょう。ところが、ここは違う、と気付きました。入湯者がお互いに痛みや苦しみを理解しているのです。しかも、医療機器に囲まれ管理された病室ではなく、温泉場の浴槽という自由な空間の中で、誰にも何ら気兼ねすることなく思ったことが言えるし、弱音も吐ける。そして判ってもらえる。病室では家族に心配を懸けまいと抑圧される精神も、ここでは解放されているかのようでした。

だからと言って、玉川温泉は癌に効果がある、と言うつもりは私には毛頭ありません。講演会で質問された方にも、重ねてそうお伝えしました。これらは単に、医学の素人が乏しい経験を基に勝手な印象を開陳しただけの話で、科学的な根拠など一切ないのです。ただ、回答しながら考えたことがあります。もし精神の解放に免疫力向上や癌細胞修復能を活性化させる機序が僅かなりとも認められるのであれば、玉川温泉に限定することなく、これまでの医学的研究とは別の視点から温泉の効能効果を見つめ直してみる価値もあるのではないか、と。温泉には、物理的効果(温度や水圧)・化学的効果(泉質=温泉に含まれる成分)と転地効果以外の「効能」も、あるように思えたのです。

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