”一生モノ” からの卒業
クローゼットを掃除してて、
ハンガーにかかっている服たちを見ながら思ったこと、
私はもう
ファッションへの執着は薄れたな~
と、自分の心境の変化を改めて感じました。
あと5年もしたら、
今あるクローゼットにある全ての服は着倒してしまって、お役目が終わっているのが想像できたんです。
それぐらい、今は持っている服の数が減りました。1年以上着ていない服は全て処分してしまったので、現役で活躍する服のみがクローゼットでスタンバイしている状態。
不思議なもので、服ってたくさん持っていればいるほど、ささっと何も考えずに着れる服がなくて、困ってしまうことがよくありました。
でも厄介なのが、そこそこ値段がする服を買ってしまったばかりに、なかなか捨てられない。鑑賞品となってしまった服たちのために家賃を払っていたと思うと後悔の気持ちがこみ上げます。
※ ※ ※
思い返せば、今から4~5年前までは、女性向けファッション雑誌をよく参考にしていました。(購入はせず、美容室でまとめ読みですけど)
品格高めの大人女子向け雑誌に載っていたキャッチフレーズに魅了されていたんです。
ご褒美に ”一生モノ”を
”一生モノ”という響きに、まんまとやられてしまいました。
一生モノのワンピース
一生モノのコート
一生モノのバック
一生モノだから、決して安くはない買い物。
商品を選び抜く審美眼と、長く愛用できるかの自分の熱量の見極めが必要となります。
一生モノを買うのは、真剣勝負。
失敗は極力避けたい。
一度買ってしまうと、
「なんだか、年齢的にも気持ち的にもシックリこなくなってきわたね~」と途中で心変わりしても、買った時の値段を思うとなかなか処分できません。
でも、引越し前にやっと勇気が出たので、
株でいう損切り感覚でばっさり断捨離しました。
十分に着てあげることができなかった罪悪感はありましたが、服と一緒に、私の中にあった
”一生モノ”という言葉も断捨離しました。
一生モノという言葉には、
一途に長くモノを大切にするステキな面がある一方、不自由さや制限も感じてしまいます。
昔はこの言葉に憧れていましたが、
自分の価値観や考え方、ライフスタイル、趣味・嗜好も変化していきます。
もちろんその中でもずっと変わらない部分もあるとは思いますが、1年前の自分と今の自分を比較しても、相当違う人間になっている自覚があります。
だから、”一生”という約束でモノとの関係性を自分に課すのではなく、その時その時の自分に合った柔軟なモノとの関係性を持ちたいと思ったのです。
でもあえて、一生モノと言える何かがあるとすれば、それは、
一生離れることのない自分の身体であったり、自分自身のことなのかもしれない。
何よりも一番に大切にしなければならない
一生モノは「自分」であることを、忘れないでいたいな。
モノが主役ではなく、自分が主役
であることを、クローゼットを掃除しながら強く思ったのでした。