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ウエイトトレーニングを開始する2024年7月の梅雨明け。

最近愛妻tamamixとウエイトトレーニングのジム(通称 筋トレセンター)に通いだした。
趣味としてではなくて、
ある程度の年齢に達すると体の全機能がスローダウンしてくるからだ。
これは誰にでも起こることで避けられない。
 
ボクは今年で54才だ、気持ち的にはつい
1週間前に通っていた中学校を卒業したぐらいの感覚ではいるが
実際にはそれから40年ぐらい経過している。

ボクは特に体に気をつけて生きてきたわけではない、
 肉体的にもかなりの負担を強いてきた。


14才までのボクは体が弱かった、
いつも何だか体がだるくてシンドかった。
それを誰かに伝えても親も学校の先生も
「そんなんな、気持ちの問題や」と言って取り合ってくれない。

病院に行っても脳波を取られて精神的な事を調べられる始末だ。

だるくて立ち上がれないからずっと椅子に座っていたら
見ている教師もクラスメイト達も
「井上はあかんわ」
とずっと言っていた。

確かに学校での集団行動はキライで大勢の中で居るのは嫌だったが
ダルいのである、意欲が全然湧かないのだ。


これは後から(20代にぐらい)解ったことだけど
この時のボクは遺伝的な問題で腎臓の機能が弱かった様だ。
(母の成子も腎臓はよろしくない。
母方の祖母も原因に関してはボクは解らないが人工透析を行っていた)
これを受け継いでいるボクは
この時代、腎臓の機能低下の影響で体がダルかったのだ。

そんなボクでも13才の時から
漫画「北斗の拳」に影響を受けてやがて独学で自分の部屋で腕立て伏せを開始する。
最初は3回ぐらいしか出来なかったけど、
何日もかけて4回、さらに何日もかけて5回…とそういう風に出来る様になっていった。
出来る様になって来るとそれだけでは物足りなくなりエキスパンダーやブルワーカー、ハンドグリップ等のトレーニング用品をスポーツ店に行って買ってきたり、雑誌の広告とかの通信販売でバーベルやダンベル、腹筋台等のトレーニング器具を買って木造長屋2階の6畳ほどの自分の部屋はちょっとした
ホームジムの様になっていった。

部屋のあちこちに
アーノルド・シュワルツェネッガーさん、
フランク・コロンボさん、
リッチ・ギャスパリさん、
リー・ヘイニーさん、
「北斗の拳」のケンシロウ、
「ジョジョの奇妙な冒険」のジョナサン・ジョースター、
「ロッキー4」と「ランボー 怒りの脱出」の時のシルベスター・スタローンさん、
ダイナマイトキッドさん、
ジュニアヘビー級時代の藤波辰巳さん、
皆さんの雑誌の切り抜きを壁にベタベタを張り巡らせていた。

そんな部屋で「プロレステーマ曲集」やアニメソングをステレオでかけて魂を鼓舞させて毎日3時間は汗をダラダラかきながらバーベルやダンベルをガシャガシャデタラメに持ち上げたりの独学トレーニングをやった。

食べ物も単純に肉をたくさん食べねば、
と思い、
母親の成子に精肉店で焼肉用のハラミ肉を
1キロほど買ってきて、
「まあ!みんなの分も買ってきてくれたん!」と喜ばせておいてからの

いや、オレの分だけ。
 夜焼いてほしいねん。と言い、
母も父方の祖母の ゆき さんも
「ええ…??なんでやのん…」とため息をついたがとにかく一人で食べた。

お米も最初は頑張っても多く食べる事は出来なかったけど
とにかく何時間かかってもたくさん食べ切る様にした。

アントニオ猪木先生が
「強くなりたかったら納豆を食べろ」と言っているのを雑誌で読んで直ぐに納豆を買いに行った。
当時はまだ大阪に納豆を食べる、と言う慣習はボクの周りには馴染んでなく、
売ってるであろうスーパーマーケットと言うものも近所には無いので 
「市場」や「商店街」に行き、そこの乾物屋さんに
まだ藁で包まれている状態で販売されていた納豆を買って食べていた。
これが匂いも凄くて不味い…と思いながらとにかく食べた。

強くなりたかったら食わねばならないからだ。

納豆がパックになって売り出されたのって
ほんとにそれぐらいの時代に成子が
「こっちの方が便利やし食べやすいで!」と言ってどっかで見つけて買ってきてくれた時ぐらいからだったと思う。

木造長屋の部屋での激しい自己流ウエイトトレーニングを毎日続けていると
やがて畳もヘコんで来るし、
流れ出る汗でダニが大量に発生してしまう事態になってしまった。
どうすれば良いか?と成子に聞いたら
「バルサンするしかないやん」と言われて
バルサンを3回やったら窓や家の隙間から煙がモクモクと外に出て道路を挟んだ向の消防署から消防士が「煙が上がってますが…」心配して訪ねて来たほどだ。
煙も消防士も消え去りトレーニングしようとまだバルサンの煙の残る部屋に戻り、グニャグニャベコベコになってしまった畳を見たら流石にこの場所での限界を感じてしまい家の近所にあったボディビルのジム、
「大池橋トレーニングセンター」に通うことにした。

本格的にジムに通う様になり正しいウエイトトレーニングを会員兼トレーナーの人から学ぶ事でボクの筋力も経験を踏まえた知識も飛躍的にアップした。
最初に独学でトレーニングしてからジムに通う様になるまで1年ほどかかり、
そこから本格的に大池橋トレーニングセンターでボディビルのトレーニングを行い、さらに1年ほど経ち体重も増え、体が変わって来ると

あれほどダルかった身体が自分でも
「あ、そう言えば…」と思うぐらい軽くなっていた。
身体の大きい筋肉群、胸、脚、臀部、に凄いパワーを感じ始める。

これも後から解った事だけど、
ボクの腎臓はウエイトトレーニングでの全身への血行量の増加、その血流を体内に循環させる事に成功したため、
(同時に身体の表面の水循環も)
結果的に腎臓の機能も改善する事が出来たようだった。

 
それ以降も更にむちゃくちゃトレーニングしてむちゃくちゃに食べた。
どのぐらい食べたかと言うと
昼ご飯は牛肉入りの雑炊を鍋いっぱい作ってもらって全部食べる、
毎日ニラレバ炒めを食べる、
 牛乳を毎日1リットル飲む、
プロテインはそのまま粉のまま食べる、
バナナは毎日1房食べる、
粉ミルクを飲む、
サプリメントも様々な種類が出だした時期で
1日30個ぐらいはタブレットの物をガリガリ食べていた
 (マルチビタミン、アミノ酸数種、BCAA等)
サプリメントと呼べないかもしれないが食後には「強力わかもと」も服用していた。
ボディビルをやめてシュートボクシングをやり出した時期は、ジムの帰りにボクの恩師、Mr.ヒトさん(安達さん)が営んでいたお好み焼き屋さんで特製のちゃんこ鍋やらカレーライスを腹一杯食べた。

ボディビル時代もシュートボクシング時代も減量があったので
その時は最高で30何キロ体重を落としたり、
(シュートボクシング時代は最高で10キロぐらいしか落とさなかったが)
ボクの体重は一定していた時期はあまり無く、
体重を意識しなくなったのは比較的最近の事だ。


プロレスをやりだしたのはもう30過ぎてからなので毎日に追われて食事量自体は落ちているけど
(もう食欲が無くなるほどドタバタした生活だった)
お酒の量は増える。
先輩と飲みに行く時なんかは
まさに「行き着くところまで行ってしまえ!」精神で記憶が消え失せ最後は吐くまで飲む。

ずっとそんな生活を続けてきて
その時は大丈夫なのだろうけど、やがて
血液の数値に異常が出ない訳はない。
加えて加齢もあり、代謝も落ちてくる。


 前置きは異常に長くなったが
つまり何もしないわけにはいかないのだ。

ボクがウエイトトレーニングを行うのは生きるためだ。

妻のtamamixといつまでも元気に一緒に居たいし、美味しいお酒を飲んでいたい、

息子とマックのハンバーガーを食べたい。

それが制約させるのはまっぴらだ!

オレは闘う!

ウエイトトレーニングして細胞を燃やす!
 内臓機能をまた自身の肉体の成長期の様にスペックを上げるんだ!


そして良いサウナを皆さんと楽しんでいきたいのだ。




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