『獅子の子落とし』になりきれない母の話
弥生、3月が始まった。
春から大学生になる長男
先週は一人暮らしの物件見学に東京へ見に行ったり、
新生活準備とやることがたんまりあって、
あわあわしている。
いよいよ、旅立つのかーーー
ひとり欠けた家の空気感を考えると
寂しいなぁと想う反面
たくましく生きて欲しいと背中を押したい。
やっと、ここまで来たか…
なにしろ、夫はちょーがつく心配性。
子供たちが出かける時は
「トイレは大丈夫か?」
「寒くないか?」
「変な奴には気をつけろ」
・
・
と ネガティビティバイアス、お決まりの声かけ。
今回、長男の一人暮らしの一件も
念願の一人暮らしを楽しみにしている長男
「自炊もやりたい」と言っているのに対して
「心配だから寮にしろ!食事の心配をしなくていいのが一番の安心だ。」
「お前に料理なんて出来やしない」と一喝
息子と父親が話すと、決まって結末は喧嘩となってしまうのが常……💧
お互いに相手の気持ちに耳を傾けず
自分の主張や決めつけが先行しているため
どうしてもがちんこ勝負してしまうんだよね。
間に入って、
食事つきの学生マンションで、
まずは1年経験して慣れたところで、
また考えようということで落ち着かせた。
「心配だから、経験をさせない」では
子供の可能性や経験値をうばっているかもしれない、
そして自分の意思を認めてくれなかったという諦め、
どうせ自分は信用されてないと、
自己肯定感を下げてしまう関わりかもしれない
ということを、親も気づく必要があるな~と思う。
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私の親は、私の決めたことに反対したり、親の意思に誘導したりすることはなくて、黙って見守ってくれた。
そして、経済的な援助をしてくれることなどは、まずなかった。
私が一人暮らししたいと始めた時、
母が「獅子の子落とし」の心境だったと言っていた。
だから19歳の時、初めての一人暮らしは
なんと四畳半一間の風呂なし共同トイレだったし、
1週間 1万円(食費、日用品、交際費も全て)
月4万円の生活費でやりくりしてた。
でも、親が心配してたまに訪ねて来る時は、
タッパーに母の手作りのおかず、野菜や缶詰めなど、食べ物や日用品を段ボールにいっぱいにして持って来てくれた。
だから親の愛情を、しっかり感じ取ることができたんだよね。
その反面、お金の援助は一切なかったため
周り友人が親からお小遣いをもらったとか
「旅行代を出してくれた」とか聞くと
うちの親は何もしてくれないと、ちょっと不満にも思ったし、
経済的援助してくれる親を、うらやましいとさえ思っていた。
まぁ私の両親は、九州から上京して、
ゼロから事業をおこしてきた苦労人だったから
子供にお金や物で、心を満たしてあげるという余裕もなく、日々、精一杯の生活だったんだと思う。
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夫や夫の両親はというと
心配性で大切に思うあまり、あれこれと過干渉、
夫の人生も親の意見や誘導によって、選択してきたようなところがあるので、子供の人生に対しても苦労させたくない余りに、親が安心できる方へと誘導してしまうのかもしれない。
そして「将来は公務員がいい」と、呪文のように語っている。
親心でお金の援助も、大変なことは助けるという関わり方。
節目、節目で子供達に対してとか、お金の援助をしてくれる。
私の家にはない援助の仕方だったので、
昔に抱いたお金の援助がうらやましいという思いがあったから、本当にありがたいと、感謝している。
でもね、助けるものと、時を見間違えないようにしないと、
過干渉といらぬ手助けは、相手の依存心が助長し、弱いものにしてしまう可能性がある…
ということ。
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ヘルプとサポートには、大きな違いがあってね。
ヘルプは、助ける、問題を解決してあげることで、主体は助ける側。
サポートは、自分で問題を解決できるように支援することで、主体は支援される側。
今、私が子供達にしている関わりは、ヘルプなのか、サポートなのか?
必要なのはサポートであって、ヘルプではない。
子供の成長と幸せ、そして自らのエンパワーメントを発揮することが大切なはずなのに、今の関わりは果たして、子供を弱いものに育ててはいないだろうか?
子供の自主性を大事に尊重もしてきたし、
やりたいことも応援してきた。
自分のことは自分でできるように、
自分の人生、自分でかじ取りできるように、
レジリエンスを高めてほしいと、
そう願いながら、大変な時は助けてあげたいと思ってる。
必要なのはヘルプじゃないんだよ。
私の母が「獅子の子落とし」の心で、
私を尊重して黙って見守ってくれていた、私を強くするための愛情だったと思うし、おかげで私は強く育ったと思う。
見守るって、どんだけ難しくて、忍耐のいることなんや。
私自身、子供のことを「絶対大丈夫!」と信じきれてない、中途半端な愛情なんだな~と。
私の母親の領域まで、少しでも近づきたいと思っているのに、黙って見守ることは簡単なようで、本当に難しい。
昭和の時代に生まれて、生きてきた親世代と、
平成~令和を生きる子世代とは時代背景が違うから、厳しさも甘さも違うのかもしれないけど
生きていくうえで、普遍的なものは必ずあって、
人は逆境や苦難を乗り越えていくなかで、
強さとやさしさと温かさを培っていけるのだと思う。
だから、たくさんの経験をして、人としての大きさと深さを広げていってほしい。
信じる、見守る
まだまだ、迷うこと、悩むこと、伸びしろだらけの母親です。一緒に成長させてもらってるんだね!てへ(笑)
かしこ