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起業を志す。不安と熱狂の間で生きる。至るまで

前回の投稿から日数もだいぶ空きました。そんな今、唐突ですが、ボクは起業を目指しています。じゃあ何を世の中に提供するか。そのサービスなりプロダクトはまだ決まってません。決まっているのは起業をするということだけです。こう書くと、ボクはこの時点では「その他大勢」枠の一人でしかないですね。よくいる若者の一人に過ぎないというか、甘さしか感じられない人というか。や、実際そうなんだと思います。まだ行動に移せていない時点で、ボクは明らかにそうです。

ただでも、起業したいと思ってしまったことは事実で。そのために人生を歩み直したのも事実で。じゃあそんなボクは今どんな日々を送っているのかと言うと、それがタイトルです。「不安と熱狂の間で生きる。」この毎日です。ボクなんかに起業ができるのか?できたとして成功させられるのか?という不安。その一方で、世の中に価値が広がる、人々が幸福になる。その生みの親にボクはなるんだ。そんな妄想だけで単純に心が躍る、熱狂する、生きていると実感する。「ああ、これが夢を持つってことなんだ。」と感じたり。

今回のノートでは、こう思って生きている今日に至るまでのボクを振り返ろうと思います。理由は2つ。
・この先の挫けそうな自分に向けて、踏ん張る力を届けるため。
・希望的観測ですが、このノートから共感してつながる仲間と出会うために。

パートに分けて複数投稿も考えましたが、意味が無いと思ったのでこのノートにすべて書ききります。少々長めですが、最後まで読んでくれる方がいれば、ぜひコメントください。


昨年末の入院。人生観の変化。

昨年末2018年11月。ボクは緊急入院をしました。持病の悪化です。潰瘍性大腸炎、これがボクの持病です。この病気はいわゆる免疫疾患で、自己免疫が原因不明(ストレスが可能性として高い)だが機能障害をお越し自分の体を攻撃してしまう。その大腸バージョンと理解しています。発症後大腸がんのリスクが健常者より高くなる特徴が別途あるのがこの病気です。発症は10年前、高校生の時です。発病してからは西洋医学的投薬治療を続けてきました。その治療の目的は安定させるこで完治ではありません。完治不可というのが今日の西洋医学の見解です。もちろん完治を目指して研究は続けられているようです。ですのであくまでも今日はということ。
ただ、困ったことにボクは今日まで病状が安定してきませんでした。薬を使って良くなったかと思えばすぐ悪くなるの繰り返し。悪くなるとうのは、腹痛、発熱(40度)、下痢、血便、便回数増、それにともなう衰弱。ざっとこんな感じです。悪いときは基本ベットから出られませんし、ひどい場合は入院となります。なのでボクもこの10年入退院を繰り返してきました。で、入院の度に新しい薬を試して来たのですが、どれも効果抜群とはいかず、安定しなかったというのがボクです。なかなか珍しく、普通はもっと安定していいはずの様です。珍しい部類に入るのが割と好きなボクですが、ここで珍しい部類には正直入りたくなかったですけど。(笑)

で、そんなこんなで病気とセットで歩んできた直近の人生ですが、大きな転機が昨年末の緊急入院です。病状の悪化で入院。これは例年通り。ただ違うのは残っている使える薬の種類です。これまで安定しないでどんどん使い続けてきた薬の種類のストックがもうなくなりました。残す薬はあと一つ。それも効かなければまだ安全か保証されていない開発途中の新薬を使うか、大腸全摘出手術を受けるか。このまま病状が落ち着かない場合は出血多量で死の危険もある。そうなってからでは遅いので手術も選択としてアリ。というのが当時の医師の見解でした。この大腸全摘出手術というのは、潰瘍性大腸炎での西洋医学的最終手段です。病気の原因を取り除こうと言うのですからそりゃそうです。これは個人的考えですが、この手術はすごく安易な選択のように思えました。原因を取り除く。確かに理にかなっていますが、大腸は病気の原因であると同時に生きる糧でもあります。それを取り除くリスクがなにも無いわけがないと思ってしまうのです。そうじゃなくても摘出すると、人工肛門を取り付ける必要があり、それは=障害者になることを意味します。生活は健常者より制限されますし、これまでの様な生き方もできません。これまでのように無理も頑張ることもできなくなります。それはなんとしても避けなければいけない。ボクの直感が全力でそう訴えた気がしました。ボクはボクが手術を選択することを全力で否定しました。そうして、第4の選択、セカンドオピニオンを選択したのです。この先は、もうご縁としか言えないのですが、今はある医師と出会い、手術でない、西洋医学的投薬と西洋医学以外の治療の、いわゆる統合治療で治そうとしています。

ここまでの自分の中での心の葛藤と、どうご縁がつながったのかも言語化しようと思います。医師以外の出会いもその中にはありました。ただ、それは今回の本筋と大きく離れるので別のノートにします。

で、この昨年末からの一連の出来事で、ボクの人生観が変わりました。なんの根拠もない話ですが、人生はすべてが必然の上に起こること。と考えるようになったのです。いま見てもらっている医師とは普通に生活していても出会えません。
■まず、そんな医師と出会えたこと。
■それによって西洋医学的治療しか見えていなかったのが、そうじゃない方法も見えたこと。結果、手術を避けられたこと。
■そして、ボクの親は事業をしているのですが、それにより一般家庭より少しだけ経済的に恵まれていると思います。その結果、今の治療を受けることができているとも思います。今の治療は保険適応外なので高いのです。

以上3つから、ボクは治るべくして治る道を歩んでいるとしか思えないのです。どれも偶然という一言で片付けられる何も根拠のない弱々しい動機ですが、僕自身はこのどれもが、ボクは治ると決まっている人生を歩んでいる。そして、人生は必然で起こることは起こる。という考えにボクを導く強い理由になりました。

と同時に、次の考えたのが、じゃあなぜボクは治るべくして治ったのかという理由です。


人生の使命。そして起業。

治るべくして治った理由。それは、ボクの人生で果たすべく使命がまだ果たせていないからだと考えました。使命というほど大げさでなくても、やるべきことと言うか、成すべきことと言うか。

というのも、クドいようですが、ボクは昨年末で大腸が無くなっていたかもしれないのです。今頃、人工肛門のある生活を送り、安静な生活を送っていたのかもしれない。というか、当時その道しか見えていなかった。でも結果はそうじゃない。それは、ボクはこの体じゃなきゃいけない理由がまだ先の未来にあるからだと思うんです。この体でないと出来ないこと、行けないところ、出会えない人、成せないこと。それが何かは全くわかりません。でもそう思うのです。強くそう思うのです。それはある種の使命だと思っています。人はみんなが何かしらの使命を持ってこの世に生を受けている。その使命を果たしたものから様々な形で死を迎える。そんな考えを持つようになりました。

じゃあその使命とはないか。ボクの場合はそれが「起業」でした。

病気を通して、自分と向き合う時間が増えました。人生観が変わりました。人との出会いがありました。そういったすべての経験を糧にして、他の誰かのために生きよう。生きたい。そんな感情がうっすらですが芽生えています。ではどうやって誰かのために生きようか。ボランティア、教育、サラリーマン、どの道をとっても可能かもしれません。でもその中でもボクの心から湧き上がってきた思いは、起業でした。起業して、自らの思う価値を世の中に提供したい。そして人の幸福を作ってみたい。そのためにボクは生きている。そう思いました。もしかしたら事業をする親の姿を見てきたのも関係しているのかもしれませんが、それも含めて、ボクの起業したいという理由は必然性のような気がします。もっと起業という思いが湧き上がる過程も言語化してみたかったのですが、出来ませんでした。。いまは、起業以外の選択肢が考えられないというか。起業がシンプルに湧き上がってきました。そのきっかけを今回の入院が与えてくれた。そんなぐわいにしか言えません。


以上が、ボクがいま起業をしたいと思うまでの過程です。で、今の今は、どんな価値を提供していこうか、自分と向き合い、世の中の違和感に敏感になりながら、考える日々を送っています。実は、入院してから会社は今も休んでいます。病状もまだ安定していません。時間はすごいゆっくり過ぎていきます。考える時間がありすぎるほどに。時間があるからこそ不安な感情もよく顔を出します。でも、これもまた起業に向けた必然な時間な気がします。

ひとまずこんな具合でしょうか。最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。もしよろしければコメントくださるとありがたいです。

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