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【万歳、 日常】聞こえないほどの低い音で(2024/12/06)

電気湯の公式インスタグラムでのリレー連載『万歳、日常』から僕のポストを転載。日常を綴ります。

 今年の夏頃からか、電気湯のボイラーに少し亀裂が入り、その亀裂からちょっとずつ水が漏れ始めた。最初の方は「なんか窯場の床が濡れてるな、まあお風呂屋さんだから床くらい濡れるよな」と気にも止めず放ったらかしにしていたが、徐々に漏れ出す水量が多くなり、床に広がる水たまりが魔界へ通じる泉みたいになる時もあったので、これはいかんと思い設備屋さんにご相談した。「これはもうダメかもしれませんねぇ」という言葉が、動かない水たまりに吸い込まれる。
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 電気湯を継いでから始めて休業をしたのは、いつかの夏、僕がコロナで寝込んだ時だった。真夏のただ中で窓を開け放ち、発熱からくる悪寒と真夏の熱気に挟まれながら、「なんだか夏休みみたいだなぁ」と呑気に空を見上げていた。電気湯の裏方では、意地でも動かし続けた銭湯の、毎日動いていたあらゆる機械と水と火の音が、まるで新年の朝方のように静まり返り、ホコリが舞う音と、床の板を踏む自分の足音だけが灰色に色づいていた。
 1週間の隔離期間が終わり、体調も万全に近づき、いよいよ営業再開をする日の早朝、試しにボイラーに火を入れ、お湯を沸かしてみた。いつもだったら背景に染み込んでいる低い音が、その時ばかりは轟く地響きのように建物を揺らし、「ようやく電気湯が息を吹き返した!」と思わず嬉しくなった。ぐんぐんと回り続けるモーターの甲高い音、地鳴りのようなボイラーの重低音に少しだけ揺れる床、水がめぐる配管のキラキラしたささやき。どんどんと色づいていく全ての音が、粒細やかに全身にしみわたり、安堵からちょっとだけ涙ぐんでしまったのを覚えている。いつの間にか、毎日聞いていたあのボイラーの音が僕の心の支えになっているような気がした。ああ、またお湯を沸かせるぞ、まだお風呂屋さんだ、まだ大丈夫。
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 電気湯の新人研修で、みんなが最も苦労するであろうところは、ボイラーの音を聞き分けるところだろう。空回りするエンジンのような音で着火し、耳を澄まさないと気が付かないような低い音で安定燃焼が続き、風船から漏れ出す空気のような乾いた音で火が消えて、お湯が80℃くらいまでになったことがわかる。大体が最初は「え?どの音ですか?」とキョトンとするくらいの低音を、1年中鳴らし続けてお湯が沸く。いいお湯を沸かすのは、ボイラーの声に耳を傾けてないとやってらんない。
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 みなさん、どうか、あと1週間の間、お湯をいつもよりよく感じて、観察してください。そんなこと気にしたってあまり変わらないかもしれませんが、僕が生まれるはるか前からお湯を沸かし続け、釜屋さんに「釜屋泣かせの釜ですね」とまで言わせ、誰の目にもつかないような暗い場所で、50年ほど頑張ってくれたボイラーの最後のお湯です。ちょっと商業的な香りがする言葉が嫌いで、今まで「電気湯にきてね」と言わないようにしていましたが、ここぞとばかりに言わせてください。ぜひ、この1週間は、電気湯で。きっと素敵なお湯が皆さんをお迎えします。
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そして、お風呂に入る時には、ぜひ耳を澄ませてみてください。銭湯での生活の全ての音と光景の背後に、いつもこの日常を支えてくれていた、聞こえないほどの低い音が響き渡っていると思います。
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2024/12/06 - Original Post
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