生きる遠慮
ふと、本棚に置いてあった本に貼り付けていた付箋をたどってみました。
すると、そのページにはこんなくだりが。
普段傍若無人にゴミを食い荒らすカラス。
そんなやっかいもののようなカラスが「遠慮がいるものか」というあたり、皮肉のような滑稽な表現のように見えるかもしれません。
しかし、作者は違う見方で見ています。
遠慮を強いられる
研究者の頃、結果の出なかった時期がありました。
私としては、あの辛い時期があったからこそ今は何があってもある程度前向きでいられるのですが、結果が3年間でなかった時期は本当に参っていました。
わざと空元気を出してみたり、次につながるような結果が出ているように見せたり。
でもその周りでは次々と結果を出す同僚がいて、とても盛り上がっていました。組織の仕事はその同僚を中心に周り、自分の仕事は後回しにされました。「忙しいから無理」と相談にのってもらえないこともありました。
カラスが季語に入っていないように、私は世界になじめておらず、肩身の狭い思いをしていました。失敗したダメな人間は自分で何とかするしかない。
後に素直にうまくいってないことを認め、うまくいっている人たちの素晴らしいスキルに敬意を示し、頭を下げて一緒に仕事をさせていただくことで乗り越えました。
でも、今考えるともっとサポートある組織であればもっと早くに乗り越えられたのではないかと思うのです。
結果が出てないなら出るように手を差し伸べるか、次に向かって背中をおすか、いずれにしてサポートが必要です。
でないと、ずっと本人は結果出ないし、さらにそのせいで病んでしまっていたら。。
遠慮は人を殺しかねない
実は冒頭の句の作者は花田春兆さんという死ぬまで障がい者運動をつらぬいた方のものです。
弱者はたいていマイノリティで大多数の人たちは気持ちはなかなか理解してもらえない。時にはそれで命を損なう人もいる。
作者は、この「マジョリティの他人事感覚」に気の遠くなる思いをしながらも言葉を綴っています。
ことの大小関わらず、深刻な出来事を他人事にしない人でありたいと思うのでした。
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