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2024年5月 宇野昌磨選手、引退に寄せて。
こちらもXに連投したものの再掲です。
2003年、今から21年前にフィギュア担当になってはじめてグランプリ東海クラブを取材したそのときすでに、宇野昌磨少年は選手として練習していました。こんな小さな子が…と驚きました。何度も跳んで転んで、そして泣いていました。当時5歳ぐらい。まだ幼稚園なんです!とお母様が教えてくれました。
毎週クラブの練習に取材に行く僕の居場所はリンクサイドの一番端の角。リンクサイドの真ん中には満知子先生。その右隣に恩田さん中野さん浅田さんと選手の年齢順にお母様たちが並びます。そしてその列は一番端の角まで伸び、列の最後、僕の左隣にはいつも宇野さんがいました。その結果…
その結果僕は宇野さんのお母様と昌磨君の練習を目の前で見続けることになりました。当時の僕の立場としては舞さんや真央さんをしっかり見なければいけなかったのですが、どうしても視線は昌磨君へ。だって昌磨君、ずっと泣いてるんです。跳んで転んでお母様に怒られて泣いて、また跳んでまた泣いて…。
なんというど根性だ…この少年…。これが最初の印象でした。また宇野さんのお母様には本当に助けられましてフィギュア初心者の僕に先生のこと練習のこと、いろいろ教えてくれました。その頃生まれたばかりのうちの娘のベビーカーは弟の樹くんを乗せていたものと同じモデルに。懐かしい思い出です。
舞さんと真央さんがクラブを離れてからは僕も練習を取材することは少なくなり昌磨選手とは大きな大会や名フェスでお会いするぐらいになりました。それでもいつも満知子先生や美穂子先生からからお話を伺っていましたし毎年のプログラムを楽しみにして応援していました。ただ当時を振り返ると…
ただ昌磨選手が小学生から中学校ぐらいまではその将来を不安視するような意見もちらほら聞こえていたように思います。確かに伸び悩んだ時期もあったでしょう。それでもあのど根性少年はあらゆる困難を努力で乗り越えました。クラブの先輩でフィギュアに誘ってくれた偉大なあの人のように…。
それからもう一つ、満知子先生のところは男子選手がなかなか育たない…みたいなしょーもないことを言う人も当時少なからずいまして、僕はいちいち苛立っていました。そんな中、昌磨選手が2016年の全日本フィギュアで初優勝!最高でした!あの日の満知子先生の笑顔は忘れられません。
最後にもう一つだけエピソードを。2003年の取材当時、クラブに前川選手という高校生の男性スケーターがいました。その選手の得意技がクリムキンイーグルで僕は見てすぐ、それなに?なんて技?って聞きまして、クリムキン、知らないっすか?と話していたんです。もちろん昌磨選手も影響を受けました。
昌磨選手のクリムキンイーグルやその生き様を見るたびに僕は昌磨選手に宿る遺伝子みたいなものに思いを馳せます。なんと言ったらいいか分かりませんが、フィギュアの素晴らしさや人間の美しさを紡いでくれた昌磨選手。これまでくれたたくさんの感動に感謝!そしてさらなる活躍を楽しみにしています。