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飢餓海峡という暗闇-②

10代半ばのある時期に知った「飢餓海峡」とは、それっきり20代~30代末ころまで「別世界」にあったといっていい。それから歳月が流れ、斜陽の日本映画界は大きなうねりの中で右往左往し変貌を遂げた。
経営が不安視されていた日活と大映は図らずも倒産し、映画産業は娯楽の王様の座から滑り落ちた。
 
それに、テレビのチャンネル、こちらも大きく様変わりし、BSやCS放送が見られる時代が到来した。映画好きだった自分は、平成のころになると昭和の面影を失った日本映画にはついて行けず隔絶し、即座に衛星放送のチャンネルに乗った。
ここで有料チャンネルと契約を結ぶと、昔懐かしい昭和時代の古い日本映画に出会え、再発見する作品にも巡り合えた。映画館では観ることの出来なかったままのうずもれた娯楽映画や、名作が数多くテレビ画面を通じて観られる時代になった。
 
有料チャンネルは、始め日活系を中心に付き合っていたが、徐々に松竹や東映の作品にも目移りし始めた。チャンネル価格的には若干割高になるが、こちらの作品にも刺激を受け食指を動かされる破目に。というのも、30歳代後半にもなれば、いつまでも「アクション映画」や「チャンバラ映画」とはいかなくなり、年相応に合った名作と称せられる作品に少しずつなびいたのだ。それと同時並行するように、書店には昭和史に残る邦画各社の名作をランク付けする書籍、文庫本などが並び始め、映像のみならず活字でもって、かつての日本映画のおさらいを始める機会が生まれた。
 
かつて名前だけは聞いたことのある、日本映画界の巨匠、名匠と謳われた、黒澤明、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介といった、彼らが心血を注いだと思われる珠玉の名作が、これでもかと目に飛び込んで来る。BS放送や有料チャンネルと書籍でもって、昭和映画の魅力を再発掘するチャンスに恵まれ、それを活かそうとする感覚が少なからず芽生えた。
 
こうして、「飢餓海峡」を初めて観た時期は、NHKBSか有料のCS放送なのか、正確には憶えていない。「飢餓海峡」は古き良き時代の日本映画の発掘という、自意識改革の中で、遅まきながら出合えたと言って良い。映画を観た最初の感想は、ただ、ただ暗く~暗い長い映画でしかなく、感想を心に留め置くような余裕はまったくなかった。


 
さらに数年単位でNHKのBSや、有料CS放送で、何回もこの映画と巡り合い、映像に触れる機会が訪れた。ここらあたりでは、評論家諸氏が書き綴った文献による解説で、「飢餓海峡」という作品の質の高さは認識しており、改めて巨匠が描く映像の世界と照らし合わせ、格調高い映像美がひしひしと伝わって来るのを感じた。
それと追随するような形で、三國連太郎、左幸子、伴淳三郎ら、この三人こそが映画の中で重要な役割をもたらし、彼らの迫真の演技、名優たる所以が分かりかけ映画の面白さ素晴らしさに気づくことになる。



#映画

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