先輩が辞めた日
4月20日。すっかり桜も散り、少し夏を感じるほどの暑さであったが普段と変わらぬ日であると思っていた。
また今日は部員である友人が二十歳になるため、同期で誕生日プレゼントを渡し練習への気持ちを高める。そんな矢先であった。
練習の冒頭ヘッドコーチからある先輩が退部すると告げられた。しかもその先輩は同じポジションで前回の練習までは普通に参加しており、退部の連絡も昨日とのこと。
寝耳に水で驚きが止まらなかった。
同時に何か自分に対する怒りもあった。
その先輩は自分よりも背は低いが100kgをゆうに超える。ラグビー界でよくいう豆タンクのような体型だった。
その分足が遅く、不器用な部分があり、良くも悪くも目立つ存在であった。だが、スクラムはだれよりも強くそして何より感情に表裏がなく、常に紳士的でとても優しく頼りになる男であった。
しかし今年はコロナということもあり、どうしても走りが多くなる。先輩はきついランメニューの中で置いていかれることも多々あり、彼のタイムのせいの連帯責任によってさらに走ることもあった。また彼は身体が大きいので少しの接触でも相手を怪我させてしまうこともあった。そのため一部からの反感を買ってしまっていたのかもしれない。
次第に周囲の彼に対する反応が悪くなるのも肌で感じた。だが、後輩ということもありそれを1人で止める勇気もでず、同調とまでとは言わないものの、彼を助けることはできなかった。
普段と通り彼と接する半面、自分の世間体を気にするような日々。そんな内面と外面が矛盾したモヤモヤする日々を過ごしていた、そんな矢先であった。
彼は前回の練習、珍しく自分自身を卑下するようなことを言い始めた。珍しいなと思いつつ、「そんなことないですよ」と先輩に言う。あぁ気づけなかった、あれが彼なりの不器用なSOSであったのに。
そして彼は今日の練習の最後にグランドを訪れた。
一言を求められた際、涙で声を詰まらせたのではっきりと彼の言葉は聞き取れなかった。だが、仲間を想う心は伝わった。
そのあと、僕は彼のもとへ行った。
彼は目を涙ぐませながら握手を求めてくる。
そのとき、自分のなかでなにか大切なものを失った凄まじい喪失感に襲われた。
僕は唐突にそして思いがけず「ごめんなさい」と言った。
彼は「なんでだよ」と笑いながら握手を求めてきた。彼の大きく分厚い手から感じる力強い握手は語らずとも何かのメッセージが込められている気がした。
そんな不器用な先輩は直接は自分に想いを語らず、今晩にインスタグラムの投稿で僕宛にメッセージを残した。
「君は僕を慕ってくれる存在で、僕をポジティブにしてくれる存在。無限の可能性を秘めているので頑張ってほしい。」
これは長い長いメッセージの一部だが、彼が不器用なりにゆっくりと時間をかけて残した言葉であると伝わった。
最近、自分自身もそうであるがマイナスに対して目を向けることが多い。電車に乗っても英語のスコアアップや資格、ヒゲ脱毛などの広告を見かけ、常になにかを頑張らなければ、世の中から浮かれないようにしなければと煽られるように感じる。
だが今日、私はマイナスばかりに目を向けられ、かけがけのない巨大なプラスをマイナスとともに捨てた彼の姿を目にした。
レベルアップってなんだろう、自分磨きってなんだろう。そう思った。
人には長所・短所がある。すべてが優れている人間はいないと思うし、いたとしても自分には見えないところでなにか必ず欠点がある。
長所を伸ばすことはできないのか、そうすれば彼は辞めなくて済んだのに。そんな気がした。彼の不器用さを認め、その分大きな心の器で他人を支える。それも一つの形だと思う。
優しい人は怒らないがある日突然消えてしまう。
そんな経験を初めてした。
いつかこの文章を読み返して自分は変なやつだと思う日もくるかもしれない。
だか、今日の出来事はこれからの人生の指針にもなりそうな出来事であった。
拙い文章力で申し訳ない。読みづらいだろう。
でも、人はいつか忘れる。だから文字にしてこの気持ちを残したい。
その先輩には心から「ありがとうと言いたい」。
いつか私も貴方のような素敵な人になれるように。
#4
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