【新卒2年目】結局ベンチャーと大企業どっちがいいの?
ーとある居酒屋にて
「家賃高くて全然遊びに使えるお金ないよ〜。いいよなぁ〇〇は家賃補助もあって、給料も高くてさぁ」
「実際に給料も高いし、生活的には不便はないけど仕事は毎日同じ業務の繰り返しで、ベンチャー企業の〇〇の方が今日の話を聞く限り裁量権も高そうで成長という観点からはすごい良い経験できていて羨ましいよ。」
ーとある地元に帰省した時のこと
「せっかく就職活動頑張ったけどさぁ。部署の上司が外れで毎日理不尽に叱られてばかりだよ・・・社会人って大変だね。よく〇〇は高校卒業してすぐ働いてかれこれ5年ぐらい働いてすごいよね。」
「いやいや、それで言うと俺の会社なんて地元規模の商売だから、〇〇はCMにも出てるぐらい有名企業で社会に対する貢献度でいったら比にならないよ。加えて、工場勤務だから人間関係もさほど気にならないしね。」
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小・中・高・大と僕は同じコミュニティの中で(小学校なら小学校、中学校なら中学校)、友達を作ってきたので「俺の環境は〇〇だけど、お前の環境は〇〇で良いよね」と言ったように環境を天秤にかけるような会話はそこまで多くありませんでした。
むしろ、同じコミュニティ内の恋愛話や学校行事、進路など、皆が決まったタイミングで同じ問いに悩み、決断をしてきました。
それが、各々が社会人になってからは、自分と他人との環境を比較する会話が増えてきたような気がします。
皆さんはいかがでしょうか?
結局、話してて思うことは、人生ってないものねだりだなぁと思いました。
お金がなければ欲しいと思うし、人間関係が悪ければ人間関係が良い環境に憧れるし、毎日出社を余儀なくされる人はノマドワーカーを羨ましいと感じるし、資本主義である現代は、ないものを得ようとすることで幸せを感じるようにシステム化されているような気がします。
別に上記のような幸せの感じ方を否定したい訳ではありません。
ただ、なんとなく資本主義的な幸せの感じ方は、いつになったら幸せになれるのかゴールから逆算した時に、一生来ないのではないかと最近思ったんです。
欲しいものを手に入れたら、また欲しいものが出てくる。その繰り返し。
この終わりなきラットレースはいつ終わるんだろう。
そう考えた時に、そもそもの幸せの感じ方が違うのではないかと最近思いました。その仮説を頭の中に残してTwitterを見てたら、クレヨンしんちゃんの主人公野原しんのすけの名言がふと目に留まりました。
お尻を出してお茶の間に笑いをもたらしていたしんのすけに一本取られました。しんのすけの上記の言葉は、できないことよりもできている事に目を向けようよと言われているような気がしました。
これは調べてみると、アドラー心理学で「正の注目」という物事の捉え方があるようです。
社会に出る前は、ベンチャー企業と大企業どちらが良いのか、という記事をよく見かけました。確かにどっちもメリットデメリットがあって甲乙つけがたいのですが、実際に社会人2年目を迎えた今日僕が思うのはどちらを選んでも正解だと僕は思います。
前途した通り、私たちはないものねだりをします。
ないものを得ようとすると、間違いなく隣の芝は青く見えてしまいます。
いつまで経っても心が疲弊してしまう感じがします。
しかし、与えられたものの中から良い部分を見つけようとすると、現状の自分を自己受容することができて心がずっと楽になる気がします。
世の中の客観的事実は変わらないが、主観的事実は変えることができるとアドラーは言います。
なんとなく、ないものねだりの考え方だと、相手が何を得ているか社会的ステータスに目がいってしまうようになります。
年収、役職、etc・・・それらでしか相手を測ることが出来ず自己嫌悪に個人的に陥りそうです。
一方で、現状の良い部分を見ようとする考え方は、相手の人柄や性格などありのままの良さを見ようとする気がします。
世の中が解釈の仕方次第で捉え方が変わるのであれば僕は
ベンチャー企業"か"大企業どちらが良いよのかではなく、
ベンチャー企業"も"大企業もどっちも良いよね。
そういう考え方が出来た方が、なんとなく人生がグッと楽になる気がするんです。