息を吐くようにアウトプットしよう!
「先方から〇〇して欲しいと依頼が来たのですが、〇〇して良いでしょうか?」
僕は新卒で会社員になってからあっというまに2年目になる。
良い意味で、人生が自分だけの判断では、進まなくなり会社員として、会社から対価を頂いている以上、会社の迷惑にならないような意思決定を求められるようになる。
上記のやりとりは、会社員になった当初の僕のやりとりだ。
一見、丁寧な報連相をしているように見えるが、言い換えればただの情報の受け渡しなら僕が介入しなくても成立する。
僕はいつの間にか代替可能な組織人=会社の歯車になっていたのだ。
一方で、同じやりとりをしているのに、存在感を発揮する人は以下のようなやりとりをしていた。
「先方から〇〇して欲しいと依頼が来たのですが、個人的な主観としては、〇〇の対応するのは時期尚早だと思います。というのも〜〜という理由で、今回は××といった対応をするのはいかがでしょうか?」
同じやりとりをしたとしても、僕が会社員になった当初と、以下のやりとりをしている人とでは、圧倒的に"事実"に対する向かい合い方が違うということに気が付いた。
僕の場合は、単なる情報の受け渡し、そこに自分の意思や解釈は一切含まれていない。後者のやり取りの場合は、事実に対する自分なりの解釈と提案を上司にしている。
この両者のやり取りの違いは、一体なんなのか。
僕なりに考えてみると両者のコミュニケーションの仕方には、"好奇心の差"が見受けられると考えた。
僕の情報の受け渡しのコミュニケーションは事実に対して無関心。
一方で、事実に対して自分なりに解釈をしている人は、情報に対してまず向き合おうとしている。それに加えて、自分の持てる知見で提案をしている。
最初は、新人が提案しても迷惑に感じるかもしれないが、長期的な目線で見てた時に、一度した提案は経験に変わり、より良い提案ができるように好奇心を開いてる人はぐんぐん成長していく。
せっかく好奇心という人間本来の感情を持っているのにも関わらず、組織の一員になった瞬間に、僕はその感情を忘れかけていた。
忘れていたんじゃない。
もしかすると失敗を自分のせいにしたくなくて、会社に責任を転嫁していただだけだったのかもしれない。
僕は、何か新しいことを始める際に会社の承認を通して、アウトプットする機会が増えた。
最初は意気揚々と、色々なアイデアを持っていったりしたが、なぜやるのか、具体性のなさ、など会社員としては当たり前のフィードバックだが、承認をもらわないとアウトプットができない環境に段々と僕の好奇心は奪われていった。
そして、承認を得ることが目的=ゴールになり、ワクワクするアイデアを考えるよりも、提案が通りそうな企画を考えるという絵に描いたような目的の手段化が生じていた。
どれほどたくさんアイデアを考えてきただろう。
どれほど、アイデアをたくさん寝かせてきただろう。
そして、自分自身も誰かのアウトプットの妨げになっていないだろうか。
どれだけ頭で計画を練ろうが、この世の中は、実現させなければ何の価値も生まない。行動には、それだけ価値があるのだ。
僕は立派な会社員(組織人)になってから、好奇心を失い、現にアウトプットの頻度も少なくなっていた。
別にアウトプットが少ないことはなんら悪いことではない。
ただ、アウトプットが止まっていた期間が僕自身の成長も止まっていたような気がするのだ。
息を吐いたら吸いたくなるように。
息を吸ったら吐きたくなるように。
そんなレベルでアウトプットをこれからはしていきたい。