野村克也さんを偲ぶ
本日楽天生命パーク宮城に伺い、
献花してまいりました。
私がプロ野球を初めて生で観戦したのが、
今の楽天生命パークである宮城野原球場の南海ロッテ戦だった。
当時野村克也さんは選手兼監督であり、
試合前のノックでライトに打ったらフェンスを越えてしまい、その時に野村監督が
「いやぁ、今日は一発出そうだな」と大声で叫んだ。ファンは大笑いだったが、実際の試合で本当にホームランを放ったのだった。
その衝撃はまだ幼稚園に入る前の私だったが、身震いがあり、とても感動をしたものだった。
そして、野球を始めるきっかけになった。
野球だけではない。
野村克也さんがヤクルトの監督になった時に
話題となった「ID野球」。
この考えは、私の仕事の中に深く浸透した。
地方で広告の仕事をしていた時に
自分の経験と感性を重要視してクライアントに提案していた私だったが、いつもどこかに不安を感じ、自分自身の成長にも疑問を持っていた。東京勤務となり、上司はもちろんの事、年下の周りで頑張っている人、さらにクライアントからも「データ」という言葉が日々飛び交っていた。
その仕事で結果を導くストーリーは、
まさに野村監督の「ID野球」だった。
そして野村監督は
東北楽天イーグルスの監督にもなった。
私が初めて観戦した球場を本拠地とする、
また地元仙台の監督になった。
身勝手に縁を感じていた。
東日本大震災後、自ら希望し仙台で働く事となり、更なるワガママで東北楽天イーグルスの担当を務めさせて頂いた。
もう監督は星野仙一さんだったが、
野村監督が育てた選手達の仕事をするのは
とても楽しかった。
日本一になった年には、
球団のHPにも、様々なメディアにも
掲載された広告の仕事を担当させて頂いた。
翌年のシーズンスタート前には
日本一のフラッグの展示まで関わらせ頂いた。
たぶん野村克也さんという存在がなければ、
身勝手ながらここまでの色々な経験をしなかったかもしれない。
本当にありがとうございました。
心よりお悔やみ申し上げます。