若手起業家として、noteで伝えていきたいこと。
【はじめに】
改めまして、株式会社Cirfectと他2社経営中の堀川と申します。読んでいただきありがとうございます。
今後noteを通して発信していきたい内容は大きく3つ
①デジタルマーケティングを日本でもっとボーダレスなものにしていくために必要な話。
②高校生~20代の若い人に伝えたいキャリアの話。
③思ったこと。
上記になります。
僕自身の経験談をベースに話すのでどこまで行っても主観の域を出ませんが、それでも少しでも日本の、特に若者の将来を明るくする起点になれるようなことを少しずつでも発信していきたいと思います。
まず自己紹介も兼ねて、堀川勝彦という人間がどういう人間か、そんな話からできればなと思います。
【堀川の幼少物語】
1990年堀川家にて生誕。自分でいうのもなんですが、名門だと思います。
そんな家庭で生まれた私ですが、小さいころからスポーツや外での遊びが大好きで引くほどやんちゃを繰り返し、学校に親が呼び出されることもしばしば。サッカーは幼稚園から小4まで結構ちゃんとやり、そこからは中学受験勉強のためたまーにテニスをするくらい。ここら辺から私の競争社会への列車は走り出します。(レールは綺麗にしかれてましたね、親に)
私には姉がいるのですが、この姉がこれまた優秀でしてびっくりするくらい勉強ができる努力の塊。その姉が2年先に超一流の中学受験道を歩んでいくものだから、当然家族親族の僕への期待値もうなぎ上り。(この流れは大学受験まで続きます。)当時勉強よりも当然遊びやスポーツが好きだった私も、それとなく敷かれたレールにいつの間にか乗っており、”中学受験”という名の第一次同世代戦争に出兵していくわけです。(確か小4の夏くらい)
いざ始めてみるとまぁ~できない。小学校では大体テストも一番早かったし何とかなるだろ、くらいの気持ちでやり始めましたが、今思い出しても確実に下からの順番の方からの方が早かった。何せ「大和魂」を「だいわだましい」と読むくらいので当然(笑)長く険しい言葉通りの”受験戦争”の始まりなわけです。
ただ昔から負けず嫌いであった私は、そこから親のサポートの元(もはやサポート99%)、日々勉強に費やしていく時間が増えていきます。半年ぐらいしたころ、偉大な姉上が当時御三家といわれていた学校、女子学院(通称JG)に合格を決めます。いわゆる1日校の中で今でも大人気なんじゃないですかね。姉は年齢でいうと僕よりも低い年齢で勉強始めていたのでおそらく3年くらいの激闘、それが2月1日この日だけで決着、当時まだ12歳ですからね(笑)今考えるとすごいこと(時間的にも量的にも)させてますよね。受験戦争を姉が突破したのだから、親の目はより一層私に向くわけです。ここから小6夏前くらいまでの1年くらいは本当に地獄でしたね。親と涙交じりの喧嘩なんてざら、ストレスで頭に五円はげができたのは今で覚えてますね。何より国語が苦手で嫌いすぎて活字アレルギーの如くなっていました。算数理科に関してはそれとなーく得意な感覚になっていくものの、毎週毎週テストがあり、全国と塾の中の順位が発表されそれによりクラスが分けられる日々。逆に人生において最も競争社会というものを意識した(というかせざるを得ない)のはこの時かもしれないです。
そんな私も小6になり志望校を決めなければいけない、みたいなタイミングがおとずれます。当初の私の第一志望は慶應普通部一択、理由は簡単で大学で受験いらないらしいから(笑)嫌味ではなく、我が家では中学受験で偏差値60以下の学校は第一志望として候補にすらさせてもらえませんでした。ただまだ決定というわけではなく他の学校の体育祭や文化祭にいき検討中という感じ。(僕が検討というより親の検討に近いですかね)
そんな中行ってみたのが今となっては母校である駒場東邦(通称駒東)の体育祭。受験にいいイメージが一ミリもなかった僕ですが、その時の衝撃たるや。今でも覚えてますし、在学中一番好きだったイベントも結局体育祭でしたね。自分と同じ険しき辛き受験の戦争を抜けてきた人達とはとても思えない激しさ、熱量、怖さ(笑)、そして本気さ、「え、この学校やべーじゃん」ってのがその時の率直な感想です。男の子の成長期の2~3年って本当に見た目も中身をガラッと変わるとはいえ、それでも5~6歳しか変わらない同じ男とはとても思えないような、畏敬とも憧憬とも違う何とも言えない感覚を覚え、このとき私の第一志望が駒場東邦中学校に決まりました。
決めたは良いが学力問題。駒東なんて今ではさらに人気を得ているようですが、当時でも筑駒、開成、麻布に並ぶ人気校。そりゃ全体の1/5が東大に行くような学校だし、校風も緩めだし人気でます。ただここからの堀川少年は頑張りました(笑)人が変わったかのように勉強を率先し、みるみる算数/理科/社会の成績は上がり、自分の順位が上がることに味を占めた私のやる気は更に上がっていき、そこに成績がしっかりついてくるという無双状態。秋口の全国模試では算数満点で全科目合計で全国80位ぐらい、なんてのもありましたね。最後までなかなか伸びなかった国語に関しても、2か月にわたる父のスーパースパルタ指導(笑)のおかげで何とか克服。
そして、いよいよやってまいりました小6の中学受験、僕も1日で受験を終えることが出来ました。
次の投稿に続く
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