考えること

この2、3年くらいストレスになることをそぎ落としてきた人生だったと思う。元々幼少期の頃から精神的に負荷がかかることが多く、それが成人してあらゆる面で危機回避するようになっていることに繋がっていたと思う。

人がストレスを感じることって人間関係の悩みや環境の変化がほとんどであって、それが原因だって認識していればそれを辞めればいいって考えるのが普通の流れだと自然と感じたんだろう。
外出を控え、人との新しい交流を避け、恋愛をするのを辞め、部屋に閉じこもる。コロナ渦もあって急激に加速し完全に板についてた。

そうしていきついた先が「考えることがストレス」

やばすぎる(笑)でも今そう思った。でも流石にやばいと思ってnoteに書き始めてる。

YouTubeで脱サラしてUberで10万円で生活している20代の若者の特集を観たがやりたいときに仕事をし、やりたくないときにはせず、無料で楽しめるコンテンツのみでプライベートは過ごす。「こんな風になりたくはないなあ」と思いつつもストレスからの脱却という考え方にどこか納得してる自分はいたしそれを実行に移せる行動力を羨んだ。

でもそこに行きついていまうと「ストレス0」は実現できるけど、先々への不安が日に日に募ってくるのではないか。友達との付き合い、彼女は結婚はどうする?急な事故でけがをしたらどうする?両親のこれからは?老後は?貯金は?などなど…
こんな不安以前に、自己実現がなにもできないと幸福感が減退していってうつ気味になっていくような気もする。

ストレスがないことが実はとてもストレスになっていることを過去に経験したことがある。

大学受験をせず推薦で大学を決め、大学入学まで3か月間ほど何もしなくてもいい期間が生まれてずっと家の中でゲームしたり漫画読んだりアニメ見て過ごしていた。当然誰ともしゃべらずお菓子を食べながらダラダラ生活を楽しんでいたのだが、体重は落ち、メンタルも崩れていっていた。
全然意味が分からなかったが、外的ストレスが0という状態は身体的精神的にかなりストレスがあったのだ。この時の私は楽しいことが楽しめず、知らない人と話すことに大きくストレスを感じ、酷いときはろれつがまわらなくて話せなくなることもあった。

話は戻るが、現に今考えなくなることへの不安が大きい。でも考えたくない、みたいな状態。
もう楽をしすぎてしまいには自分の好きなことやりたいことをやるかどうかの決断することも億劫になってやるかやらないか悩んでいて長いこと考えて結局やらないみたいな感じ。
もう最悪なんだけどいつもこういう状態になる。

適当に見ていた頭のよさそうなYouTuberは「考える前にやってる。やる気を出すって言葉はやる気のない人が考えたこと。すでにやっている自分はやる気をもってやってない。やっているだけ」みたいなことを言ってて「この考え方取り入れていなあ」って思ったけどかなり難しい(笑)

一応行きたくない誘いにも乗るようにはしてて、面倒だなと思いつつもその中での楽しみを探すようにはしている(外的ストレス)。

事柄や事象について考えることは大事なことであって、決断するかしないか考えるのってすごい無駄だなっていつも思う。
考え方以前にすぐやってみてやった後で考えることへ行動をシフトしていきたい。

それには、
①マイルールに沿って生きる
②どっちかになったら必ず自分で決断する
③やるやらないの前にすぐやってみる

以上のことを念頭に置いて行動していきたい。てか小難しくいってるけどその辺の小学生でも普通にやっていること。やればできる。
(良い)ストレスを回避せず受け入れ、刺激として楽しんでのびのび生活していく。

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