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俺ら(katotoorera)の政治信条〜オリンピックについて〜
以下では、俺はオリンピックについて述べるつもりである。東洋文明では、俺らはオリンピックに参加しない。下記の文章の正当化は未定である。
画像:https://unsplash.com/photos/dM_e5u-SM0U
1章 オリンピック
オリンピック:東洋文明では、俺らはオリンピックに参加しない。
東洋文明では、俺らはオリンピックに参加しない。なぜなら、俺らがオリンピックに参加するとき、俺らは善悪の主導権をキリスト教の西洋文明に握られる可能性がある。例えば、オリンピックを通して、「差別」や「LGBT」というキリスト教的な概念が日本国、東洋文明へと流入する。
実際、「差別は耶蘇的な罪であるので、差別は悪い」という雰囲気がオリンピックを通して日本国へと流れてきている。しかし、本来であれば、俺らは「東洋的礼に反することは悪い」という善悪に関する主導権を持つ必要がある。
2章 オリンピックの歴史的正当性
オリンピックの歴史的正当性:東洋文明では、オリンピックには歴史的正当性は存在しない。
東洋文明では、オリンピックには歴史的正当性は存在しない。オリンピックは地中海文明発祥である。その文明は俺らには何も関係しない。欧州人が東洋文明発祥のオリンピックに類似した何かを実行する必要がないように、東洋人がオリンピックを馬鹿真面目に実行する必要はない。
上記でも述べたが、東洋人がオリンピックに参加するとき、文明的な主導権が西洋文明に握られる。当然であるが、東洋人がオリンピックに参加するとき、オリンピックの発祥は古代ギリシアであるので、歴史にも主導権を握られる。現在のオリンピックは文字通りパンとサーカスである。
地中海発祥のオリンピックと欧州人が作った運動競技のために、東洋人は自己の善悪の主導権をキリスト教の西洋文明に明け渡そうとしている。言い換えると、単なる運動のために、自己の宗教や善悪を捨てている。
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