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原因結果の流れと善悪について〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、俺は論理?と善悪について述べるつもりである。俺は論理が原因と結果であるのかを認識することができない。また、俺は「もし〜」と「〜するとき」の違いをうまく理解していない。

画像:https://unsplash.com/photos/Vwf8q3RzBRE

背景

 俺はある主体があるスイッチを押すことを善と判断するのかを知りたい。また、俺はその主体が人類を絶滅させることを悪いと判断すると仮定する。

今、次の論理?(流れ)が存在する。もしある主体があるスイッチを押すならば、その主体は人類を絶滅させる。実際に、その主体がスイッチを押す。このとき、その主体は人類を絶滅させる。

上記の仮定により、俺はこの結論を悪いと判断した。だから、俺はある主体があるスイッチを押すことも悪いと判断したい。

P→Qと善悪1

 俺の儒教系統の判断 P→Qが存在する。もし俺がQを悪いと判断するならば、俺はPを悪いと判断する。

 もし俺がQを悪いと判断するならば、俺はPを悪いと判断する。ただし、P→Qが論理であるのか、単なる原因と結果の関係であるのかは不明である。上記の具体例は原因と結果に近いように思える。

原因の場合は次の解釈である。原因P→結果Qが存在する。もし俺が結果Qを悪いと判断するならば、俺は原因Pを悪いと判断する。

俺の感覚では、善悪に関する判断の向きはP→Qの流れの逆Q→Pになっているように思える。Pの善悪はQの善悪の判断によって決定される。

P→Qと善悪2

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