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俺ら(katotoorera)の政治信条〜刑罰について〜

 以下では、俺らは東洋文明における刑罰を提示するつもりである。当然であるが、異なる宗教や異なる文明は異なる刑罰を与える。

画像:https://unsplash.com/photos/9m8hapLngiw

1章 刑罰

 刑罰:俺らは刑罰を礼に沿って実行する。

 俺らは刑罰を礼に沿って実行する。キリスト教における刑罰は人道に沿って実行される。その結果として、キリスト教徒の欧州人の一部は死刑を廃止する。

しかし、俺らはこの種の「人道(的)刑罰観」を採用しない。俺らは「礼刑罰観」を採用する。口語的には、俺らは「礼に反さなければ、どんな刑罰でもあり」と審判する。

また、刑罰は他者への損害に関連づけられる。ある種の損害の発生→刑罰の発生である。注意点は、東洋文明における刑罰は他者への損害に関連づけられて、創造主が決定した決まりに反するものとして解釈されないことである。

2章 刑罰の善悪

 刑罰の善悪:刑罰の善悪は礼によって正当化される。

 刑罰の善悪は礼によって正当化される。例えば、俺らが凌遅刑の善悪を判断すると仮定しよう。そのとき、俺らは凌遅刑が礼であるのかどうかを考える。

もし凌遅刑が礼に反さないならば、そのとき、俺らは凌遅刑の善性を礼によって正当化することができると考える。これは刑罰における痛みや拷問にも該当する。もしある種の痛みや拷問が東洋文明における礼に反さないならば、そのとき、そのその痛みや拷問の善性は礼によって正当化される。

まとめると、もしある刑罰が礼に沿うならば、その刑罰の善性は正当化される。もしある刑罰が礼に反するならば、その刑罰の善性は正当化されない。もっとも重要なことは礼に反するのかどうかである。失礼か無礼か非礼かで、刑罰の善悪が正当化される。

3章 死刑

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