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俺ら(katotoorera)の政治信条〜三権分立〜

 以下では、俺は三権分立について提示する。特に、俺は司法(日本国の裁判所)の無責任さを見る時、俺は三権分立を悪いと判断する。

画像:https://unsplash.com/photos/pdWc5wm1STw

1章 三権分立

 俺の判断 俺らは三権分立を悪いと判断する。

 俺らは三権分立を悪いと判断する。三権分立の概念は歴史的にも宗教的にも文明的にも正当でない。三権分立の概念は西洋(欧州)に所属して、キリスト教に所属して、かつ西洋文明に所属する。

一方、俺らは東洋に所属して、儒教に所属して、かつ東洋文明に所属する。卓球業界がサッカー業界の仕組みを取り入れる必要がないように、俺らは三権分立をと入りれる必要はない。基本的に、俺らは東洋文明に所属しない対象を善と判断しない。

特に、司法の独立性には、深刻な問題が存在する。その問題とは、たとえ司法がおかしな審判を実行するとしても、司法は自己の行為の後始末及び応答義務を実行する能力を持っていない。個人的な印象では、司法による馬鹿な審判の後始末と応答義務、そして尻拭いは行政?や内閣や平民が担っている。

 個人的には、「もし司法は自己の行為の後始末及び応答義務を実行する能力を持っていないならば、司法は独立性を持たない」という思考の規範を提示したい。

2章 システム主義と三権分立

 まず始めに、人工システムの創造主が自己のシステムを創造する。次に、システムの統治者がそのシステムに沿って民を統治する。最後に、審判者が民の行為を審判する。

後始末及び応答義務はシステムの統治者にある。創造主が自然界というシステムに関する後始末及び応答義務を負わないように、人工システムの創造主は自己のシステムの後始末及び応答義務を負わない。

ただし、人工システムの創造主は統治者による人工システムの統治行為に干渉しない。なぜなら、自然界の創造主も人間による統治に直接的には干渉しない。自然界の創造主は自然界というシステムを創造しただけである。

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