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自然な肌の色の否定とその善悪〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、俺は自然な肌の色の否定とその善悪について述べるつもりである。俺は自然な肌色の否定それ自体を悪いと判断する。

画像:https://unsplash.com/photos/nt6KRD9im7A

背景

ファミリーマートは26日、新たに発売したプライベートブランドの衣料品の色の表記で不適切な表現があったとして、店舗から回収したことを明らかにした。女性向けの下着で「はだいろ」と記しており、社員や加盟店から不適切ではないかと指摘する声が出たという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e221168108e9cfa5749f5a7c104417b64e49b4d

 日本列島を含む東洋地域、もっと言うとアジア地域では、黄色の肌色は自然である。東洋人が彼らの肌を肌色と呼ぶことは自然である。これはネグロイド人種が彼らの肌の色を肌色とサブサハラで呼ぶことに等しい。

自然な肌の色の否定

 俺の儒教系統の判断 俺は自然な肌の色の否定を悪いと判断する。

 俺は自然な肌の色の否定を悪いと判断する。俺は次の思考の規範を考えてみる。もしある主体が自然な肌の色を持つならば、その主体は肌の色に関して否定される(a)。

もし俺が上記aを善と判断するならば、このとき、サブサハラにおけるネグロイド人種やアメリカ大陸におけるアメリカ先住民の肌の色が否定される。俺はこの現象を非礼と審判(認識)して、俺はその非礼を悪いと判断する。そのこの結論を悪いと判断する。

善悪の遡りを使用すると、俺は上記aを悪いと判断する。このとき、俺は「ある主体が自然な肌の色を持つ、かつその主体は肌の色に関して否定されない」を獲得する。そして、俺はこれを善と判断する、または悪いと判断しない。上記はより自然へと一般化される。

自然な肌の色

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