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俺ら(katotoorera)の政治信条〜人工的な概念に関する思考の規範(ロゴス)〜

 俺が人権はキリスト教の概念であり、東洋人が人権に沿って運動する必要はないと言う。この時、一部の大和民族は人権とは普遍であると返答する。または、彼らは人権はキリスト教には関係なくみんなのものであると返答する。

けれども、たとえ俺らが自然界の全てを調べるとしても、俺らは人権という考えを自然界の中に発見することはできないだろう。つまり、人権は人間が人工的に作り出した概念である。以下では、俺は人工的な概念に関する思考の規範(ロゴス)を提示する。

画像:https://unsplash.com/photos/U3sOwViXhkY

1章 人工的な概念に関する思考の規範

 俺の認識 任意の人工的な概念はどこかの文明に所属する。

 任意の人工的な概念はどこかの文明に所属する。書き換えると、もしある人工的な概念が存在するならば、その人工的な概念はどこかの文明に必ず所属する。これが人工的な概念に関する思考の規範、つまりロゴスである。

例えば、上記の人権は人工的な概念である。だから、人権はどこかの文明に所属する。その文明は(ユダヤ教及びキリスト教の)西洋文明である。同様に、罪は人工的な概念である。だから、罪はどこかの文明に所属する。その文明は(ユダヤ教及びキリスト教の)西洋文明である。

礼は人工的な概念である。だから、礼はどこかの文明に所属する。その文明は(儒教の)東洋文明である。

2章 人権に関する思考の規範(ロゴス)

 俺の認識 もしある主体が人権に賛成するならば、その主体はキリスト教徒、またはユダヤ教徒であり、かつその主体は西洋文明に所属する。

 もしある主体が人権に賛成するならば、その主体はキリスト教徒、またはユダヤ教徒であり、かつその主体は西洋文明に所属する。ある主体が人権に賛成するは主体が人権概念を使用するにも置き換えられる。つまり、もしあるホモ・サピエンスが人権という考えを使用するならば、そのホモ・サピエンスは実質的にはキリスト教徒である、または西洋文明に所属すると認識される。

この規範は次を除外する。もしあるホモ・サピエンスが人権という考えを使用しているのにも関わらず、もしそれがキリスト教徒でない、または西洋文明に所属していないと主張することが除外される。あるホモ・サピエンスが人権を使用するならば、西洋文明に所属している。

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