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科学と兵器に対する崇拝〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜
以下では、俺は科学と兵器に対する崇拝について述べるつもりである。なお、俺は崇拝行為の善悪についてはここで述べない。
画像:https://unsplash.com/photos/qDWiLMxCKCI
1章 背景
俺の儒教系統の認識 大和民族は科学や兵器それ自体を崇拝する習性を持っている。
大和民族は科学や兵器それ自体を崇拝する習性を持っている。しかし、俺は科学や兵器それ自体を人間によって崇拝される対象と認識する。大和民族のこの性質は未開人の性質であるが、彼らは自己認識していない。
上記の性質は科学や兵器だけでない。大和民族は科学も兵器も、数学も日本国憲法もなんでもかんでも崇拝し始める。そのほかにも、数学書や科学書や論文が崇拝対象になる。しかし、彼らは彼ら自身は無宗教であると信じている。
2章 科学と兵器
俺の儒教系統の認識 俺は科学を自然界を分析する手法と認識する。
俺は科学を自然界を分析する手法と認識する。それに対して、俺は科学によって分析される対象を自然界と認識する。つまり、科学とは、自然界を調べるための手法である。
その手法を崇拝することは戦闘機や戦艦を崇拝する行為に等しい。創作では、未開人は最強の古代兵器を崇拝し始める。しかし、文明民にとって、兵器は人間によって運用される下僕である。
これは科学も同様である。文明民にとって、科学は人間によって運用される下僕である。未開民にとって、科学は人間によって崇拝される対象である。
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