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統治ができないとどうなるのか?~学者の例~
以下では、俺は大和民族の学者の問題点を提示する。それは彼らが統治を認識していないことである。儒教では、分析よりも、統治を優先させる。
背景
儒教系統の認識
(1)大和民族の学者は統治を認識していない。
特に、大和民族の理論物理学者や数学者は統治が何であるのかを認識していない。むごい場合、彼らは統治を馬鹿にしたり、穢れ化する。彼らは統治や創造を認識していないので、彼らは自分が一番偉いとなんとなく念術で雰囲気でノリで感じている。彼らは彼ら自身が社会の上部構造に存在すると信じ切っているように見える。
大和民族の学者は彼ら自身が人類の役に立っていると感じているように見えるが、彼らはまともな組織を作るつもりがないように見える。人類の役に立っているのは、アインシュタインやニュートンでなく、彼らの環境を形成してきた人々である。
具体例
儒教系統の認識
(1)大和民族の学者の多くはまともな論文を書いていない。
上記が統治を軽視した結果である。つまり、もしある主体が対象を統治することができないならば、論文を書いていない個体が溢れる。これは数学者や理論物理学者にも多く存在する。
儒教系統の認識
(1)大和民族の学者は論文を書いていない教員を解雇できない。
このような状態になると、彼らは労働者の権利を都合よく掲げて、彼らは解雇を妨害しようとする。統治を機能させて、解雇を実行しようとするとしても、誰も論文を書いていない構成要因を統治できないので、学級崩壊状態が継続する。
儒教系統の認識
(1)大和民族の学者は侮辱を繰り返す学者を統治できない。
上記には、菊池誠が存在する。彼は明らかに出鱈目な経済学をまき散らしたり、客を馬鹿やアホ、トンデモと侮辱している。にも関わらず、彼の行為は放置されて、大阪大学は彼の行為を一向に統治しようとしない。
具体例
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