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報道の自由と文明的な所属、そして宗教

背景

儒教系統の認識 大和民族の報道関係者は自己の文明的な所属や宗教を表現していない。

にも関わらず、大和民族の報道関係者は報道の自由と言う西欧文明の恩恵を受けいてきた。彼らは「俺は西欧文明に所属する」と言っていない。

その状態で、大和民族の報道関係者は他人の個人情報や醜聞を暴露して、卑しい富を蓄積してきた。俺はこの行為を姑息で卑怯と認識する。具体的には、TVや週刊誌が存在する。

一方、西欧白人は自己の文明的な所属を表現してきた、または彼らはそれをわかる状態にしてきた。そのうえで、彼らは報道の自由の恩恵(当然、それには負の部分が存在するけれども…)を受けてきた。

報道の自由と文明的な所属

儒教系統の思考規範 もしある主体が西欧文明に所属しないならば、その主体は報道の自由の恩恵を受けない。

または、もしある主体が西欧文明に所属しないならば、その主体は報道の自由を持たない。もしある主体が西欧文明に所属しないならば、その主体は報道の自由の恩恵を適用されない。

つまり、もし大和民族の報道関係者が「俺は西欧文明に所属する」と言葉で表現しないならば、大和民族の報道関係者は報道の自由を持たない。そのとき、彼らは報道の自由に沿って何かを報道しない。

報道の自由と宗教

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