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【ネットで】高校2年生の早川惺の司法試験の合格は凄いのか?【十分】

史上最年少!高校2年生で司法試験に合格した早川惺さん「一番意識していたのは、“暗記をするのは最終手段”ということ」

以下では、俺は上記の速報に関する問題点を提示する。結論から言って、俺は司法試験は不要であると認識する。弁護活動を一般人にも開放するべき。

#早川惺
#司法試験

司法試験を廃止しろ!

司法試験それ自体を廃止するべきである。これが俺の認識である。また、弁護活動を一般の民にも開放して、弁護士の独占的な状態を廃止するべきである。

日本国の弁護士(大和民族の弁護士)は政府から免許で保護してもらいながら、彼らは政府を批判して、自分たちを先生と呼ばせ、かつ独占的な状態を維持して、個人的な利益をひたすら追求してきた。そして、彼らは都合が悪くなると、一市民として被害者ぶってきた。

その結果、トヨタと異なり、日本国の法体系も裁判も国際的に全く競争能力を持っていない。競争が一切機能していないので、法体系がゴミであるとしても、弁護士はぬくぬくと生きていくことができている。免許で独占されているから!

なお、競争がないのは、宗教間や文明間でも同様であり、日本国内において、儒教系統の法体系とキリスト教系統の法体系が競争する状態がなく、キリスト教系統の法体系が国家によって保護されて、独占的な状態を築いてきた。その結果、より優れた新たな法体系がうまれる機会が破壊されてきた。

資格試験は必要であるのか?

すくなくとも、弁護士資格は不要である。その他には、教員免許(教員資格)も不要で、塾講師で充分である。酷い場合、塾講師の方が教え方がうまく、政府による免許の保護はなければ、教員の大部分は淘汰されるだろう。

同様に、会計士や医者も同じである。医者に関しても、免許が必要のない医療行為に関しては、民に開放されるべきである。会計士や医者に関しても、医師免許が医者が独占状態を維持して、自分たちの個人的な利益や利権を追求する手段になっている。

これは一種の腐敗であり、本来であれば、医者の免許は公的なものであり、独占による個人的な利益の追求のためでない。基本的に、資格や試験は必要最低限で良く、難易度を高めて、参入障壁を上げるべきでない。医者になるために、難しい大学入試を突破する必要はない。同様に、弁護士になるのに、難しい司法試験を突破する必要はなく、ネット(電網)で充分!



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