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【大局→局所?】儒教における思考の順序【局所→大局?】

人種や宗教が異なると、世界に対する認識の仕方や把握の仕方が異なる。例えば、ある主体は世界を局所や小さなものから大局や大きなものへと拡張するように思考する。

別の主体は世界を大局や大きなものから局所や小さなものへと把握するように思考する。

儒教では、儒教とは次の思考の規範を持ち、この規範に沿って、世界を把握する、または認識する。

年と月と日

儒教系統の思考規範 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は信仰するのは、年と月と日の順序は年と月と日である。

つまり、2023/12/25である。儒教では、日付は25/12/2023でない。また、儒教では、可能ならば、2023年/12月/25日のように、単位や名字をつける。

名前

儒教系統の思考規範 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は信仰するのは、名字の名前の順序は名字と名前である。

例えば、kishda fumioである。fumio kishidaでない。西洋では、名前と名字の順序は逆であり、donald trumpである。trump donaldでない。

自己認識(アイデンティティ)

儒教系統の思考規範 もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は信仰するのは、自己認識の順序は大局から局所である。

例えば、サピエンス→モンゴロイド人種→新モンゴロイド人種→大和民族である。大和民族→新モンゴロイド人種→モンゴロイド人種→サピエンスでない。

西洋では、自己認識の順序それ自体が東洋と異なる。例えば、西洋では、ケルト民族→欧州小人種→コーカサス人種→サピエンスである。

一般化

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