見出し画像

思考の規範?の善悪について〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、俺は決まりの善悪について述べるつもりである。

画像:https://unsplash.com/photos/58Z17lnVS4U

背景

 俺はある主体がアイヌ民族について語っているのに、その主体は自己の民族を表現していないことをみた。このとき、俺は彼を卑怯であると審判した。俺は卑怯を無礼と認識した。

そこで、俺は次の掟a「もしある主体がアイヌ民族について語るならば、その主体は自己の民族とアイヌ民族及び第三者に表現する」を作りたいと思った。では、この掟それ自体が善であるのか、悪であるのだろうか?

俺がPを「ある主体がアイヌ民族について語る」として、Qを「その主体は自己の民族とアイヌ民族及び第三者に表現する」とする。俺はα「P→Q」それ自体の善悪を判断したい。

思考の規範?の善悪1

 今、俺は上記の掟aの善悪を判断したい。そこで、俺はこの掟を否定して、善悪を調べる。

否定すると、俺は次を獲得する。ある主体がアイヌ民族について語る、かつその主体は自己の民族とアイヌ民族及び第三者に表現しない。俺はこの否定を悪いと判断すると(便宜的に)仮定する。このとき、俺は次の思考の規範を導入する。

 俺の儒教系統の思考の規範1.1 もしある主体がある決まりの否定を悪いと判断するならば、その主体はその決まりを悪いと判断しない。

 もしある主体がある決まりの否定を悪いと判断するならば、その主体はその決まりを悪いと判断しない。上記の規範を使用すると、俺は掟aを悪いと判断しない。ただし、その掟が善であるのかは不明である。

上記では、俺はある決まりや掟の善悪をその掟を否定して、その善悪を調べて、間接的に判断してみた。

思考の規範?の善悪2

ここから先は

868字

¥ 300

君の寄付をありがとう!とても嬉しい!