仕事と生活の噛み合わせ。

ちょうど昨日、最後に残っていた対面会議の予定がテレビ会議に変更され、めでたく(?)、4月以降のほぼすべての外出予定は消え去った。昨年末、岐阜に移住したときには懸念のひとつだった名古屋や東京への移動の面倒が、思わぬ形で解消されたことになる。本当に先のことは分からないもんだ。

まあ、そんなわけで、ずっと家にいます。休日はずっと家族と、平日はずっと妻と二人きり。

朝5時に起きて7時まで仕事して。コーヒーを淹れて、家族を起こして朝ごはんの準備して。子どもたちの服を着替えさせて保育園の準備して。仕事。妻とお昼を食べて、仕事。3時にコーヒーを淹れて、おやつを食べて、仕事。余裕がある日は左ききの道具店の発送に付き合って、保育園の迎えに行って、家族でごはん。遅くても22時には寝る。

外出がなくなった分、この日々はより安定性を持ってぐるぐると繰り返されている。そう書くと、退屈で無味乾燥とした響きがあるけれど、意外にそんなこともなく楽しくやっている。食事の喜びは強くなるし、子どもたちとの時間も濃くなるし、仕事と家庭のパートナーがいつもそばにいるというのは頼もしいことだ。

そしてこの生活を加速させるように、僕の本業であるクリエイティブ事業も新規率が急激に下がり、以前は新規7:既存3ぐらいだったものが完全に逆転してしまった。それでも先期は過去最高だったから、クライアントとの距離が確実に縮まっているということだろう。ありがたい限り。

この傾向は、テレワークが定着するに従って、ある地点までは加速していくはずだ。対面なしで完全に新規の会社に、僕が主戦場にしているブランドの言語化を任せる企業はそう多くないだろうから。

そんなわけで、当分の期間は、見知った人たちとじっくり物事を深めていくフェーズに入ったと考えている。具体的な要望に具体的な解決策を提示する仕事から、ビジネスの当事者としてともに課題を見つけ、ともに試行錯誤をする仕事がこれまで以上に増えていく。で、これは正直なところ、願ってもないことだ。

広告の仕事や受託で制作物をつくる仕事は、いつだって刺激的で面白いけれど、同時に刹那的でもあって。短時間でエネルギーを燃焼し尽くすような側面がある。渦中にいるときの高揚感と終わった後の一抹の虚しさは、20代の恋愛のようで、それは淡々と続く日常にはそぐわないわけで。

今、社会からの環境圧と、案件の成熟度と、僕の年齢が偶然にバランスよく噛み合っている感じがある。

そりゃね、売上への不安はある。新規率が低いといっても、大きな仕事が減るわけで、今期の数字への影響は免れない。でもね、それでも仕事と生活の質が合っている、というのは重要な意味を持っている気がするわけです。

ぐるぐると日常を繰り返しながら、少しずつ深まっていく感じ。これを良しと思える程度には、大人になったんだなと自分を振り返る今日この頃です。

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