3年ぐらい早送りの2020年に希望を感じたりする年末。
新卒で営業会社に入社した頃の目標は「年収1,000万円になる」だった。
売上がダイレクトに賞与に反映される評価制度。売ればいい、という仕組みはシンプルで分かりやすい。でも働きはじめてすぐに、事務機販売が向いていないことに気づいた。たくさんのお金がほしいわけでもない自分に性根にも気づいた。そして年に2,000万円稼ぐ先輩の「客がカネに見えてくるよ」に失望して転職した。
制作会社にいた頃の目標は「コピーライターとして名を上げる」だった。
手が届く仕事はぜんぶ受けた。養成講座に通った。宣伝会議賞に何度も挑戦した。広告賞は手当たり次第に出した。いくつか受賞したけれど、ずっと自分に対する手応えを感じられなかった。
カメラマンと一緒に制作会社を立ち上げたときも、誘われて東京のIT会社に転職したときも思った。何かをつくるのは楽しい。でもコピーライターとしてトップ層に届く才能が自分にはない。いつしか、コピーを書くことより全体プランを立てることが面白くなった。
独立した頃の目標は「できる限り長く食べていけるようにする」。
最初の月の売り上げは5万円だった。毎月末、請求書の額と銀行口座の残高を眺めながらため息をついていた。それでも自由はあった。僕と一緒に仕事をしたい、という指名の仕事しかこない、というのは作り手としての大きな喜びがあった。
コピーライターとして超一流にはなれないだろう。でも、目の前の一人のためにできることを全部やれば、次のステージにはいけるかもしれない。
そのできることの一つが、自社事業だった。受託事業は常にクライアントに影響され続ける。自分たちが決めて、自分たちが動かす場所が、ぜったいに必要だと感じていた。
左ききの道具店のオープン時の目標は「クリエイティブの売り上げを超える」。
2018年8月。自社事業である左ききの道具店がオープン。僕はコピーライターとしての仕事。妻は店長としての仕事。一人一事業の体制になった。
とにかく、長く続けよう。まず、二人でこう決めた。でも同時に、僕は左ききの道具店で自分の仕事の売上を超えることも目標にしていた。
「誰かのビジネスをクリエイティブから支援するのが自分の本分だとしたら、成長させられないわけがない」というのが持論だった。それ以上の根拠はない。でも、そうでしょ? そうじゃないわけがない!という思いだけの先行だ。でも、おそらく7,8年はかかるだろう。かかっていいし、まだまだ僕は現役だもの。
左ききの道具店の初月の売り上げは5千円。ながーい旅路だね、と夫婦で笑っていたのが懐かしい。
そして、2020年。当社の決算は2月だけど、年内の様子をみると対比してこんな感じで推移している。(相当にざっくりなグラフ)
コロナ禍でクリエイティブの新規需要が減ることは十分予想できた。リーマンショックのときもそうだったけれど、少なくともこの流れは2年は続くだろう。だから比率が近づくことは想定されたけれど、予想以上に左ききの道具店が伸びた。このままいけば来年にはクリエイティブの売上を逆転する。体感で3年は早い。
グラフをぼんやり眺めながら、少し寿命が伸びたのかもしれないな、と思った。
2年前、こんなnoteを書いた。
僕のコピーライターの寿命は長くとも45歳。この気持ちは今も変わっていない。最前線に長く居続けられるほどの才能は、僕にはない。
でも、事業の伴走者としては、まだまだこれからだなぁと思う。そしてこの領域はもっとずっと長く現場にいられるんじゃないかとも感じていて、少し自分に対して希望を持ったりしている2020年の年末です。
さて、今年も残すところあと1週間と少し。できることは限られているけれど、最低限、大掃除だけはするぞと心に刻んでおります。