人生の抱負ができました。
毎年、お正月には抱負を立てていた。
一番多いのが健康に関するもので、筋トレ、ランニング、ウォーキング。ダイエット目標がそれに続く。次に頻出するのが読書。週に一冊が多いけど、月に3冊、みたいな希望と妥協の産物みたいやつもあったね。瞑想も多いな。何かしら精神の充実を図ろうとすることが読み取れる。
そして言うまでもなく、過去のあらゆる新年の抱負は、ときに一月いっぱい粘り、ときに三日坊主にすらならず、忘れ去られていった。すべからず。さっぱりと。跡形もなく。
しかし、それでいいのだ。思い出そうという努力すらしなくていいのが新年の抱負のいいところなのだ。卒業アルバムの寄せ書きに書いたような青臭いテンションを、年に一度蘇らせてくれる、そのかけがえのなさが重要なのであり、守れるかどうかは二の次どころか永遠に必要ないのだ。
……というのが新年の抱負に対する僕の態度だったのだけれど、今年は40歳になる年である。その年齢でこの考えもいかがなものか、と顧みて、今年はいっそ立てないことを決めた。ハリボテの看板をわざわざ掲げるからみすぼらしいのだ。
なんてうそぶきながら1月も終盤に差し掛かった頃、突如として抱負ができた。いや、できてしまった。各務原市が誇る独断的最高の温浴施設である「恵みの湯」でサウナに興じていたところ、それは天啓のように降りてきたのだ。
「うまくやろうとしない」
もう一度。
「うまくやろうとしない」
だ。
これが降りてきたときの僕の腹落ち具合といったら、このnoteを読んでいる人には想像もできないと思う。
これだ!!!!!!!!!!
と、思わずサウナ室でガッツポーズしかけたけれど、大相撲に夢中の常連さんを驚かせてはダメだったので、タオルを被ってニヤニヤするに抑えたけれども。とにかく、この言葉でいろんなことが腹に落ちたのだ。
家に帰ったら、さっそく書いて、デスクトップのMacに貼ったよね。
うまくやろうとしない。この逆は、うまくやる。
僕の考える「うまくやる」とは、投資効率を最大にするようなアクションで。いわゆる「ローリスクハイリターン」であり、「最小限の努力で最大の効果を出す」もそう。「時流に乗って短期的に大きくする」や、「グレーゾーンで他者を出し抜く」だってそう。
もう少し拡大解釈すると、「未知の領域を他人に投げて成果を期待する」だって、ずいぶんうまくやろうとしていることだ。
思えば、これまでの人生における失敗の多くは、うまくやろうとしてのことだった。仕事はもちろん、プライベートだってそうだ。リスクを減らし、自分を守って、それでもあわよくば、のような態度で臨んだあらゆることは、すべて後悔のフォルダに入れられている。
うまくやるための才能がない、とも思う。
うまくやれる人というのは、あらゆる可能性を把握して天秤にかけられる人か、都度忘れてしまえる人だ。僕のような飛び抜けておらず引きずりやすいタイプの人間は、そもそも才能がないのだ。
うまくやろうとしない。
それは、等価交換で生きていくことでもある。10の行為で100の成果を狙うのではなく、10のリスクで10のリターンを。50のエネルギーで50の実績を。至極当たり前の考えで、歩んでいこうということ。
こんなことは言われんでもわかるでしょ、と思われた方、その通りすぎて何も言えないんですが、僕にはそんなことが難しかったんですよ。SNSではうまくやっている人が山ほど出てくるし、面白そうな仕事にイッチョ噛みしてやろうか、なんて話は実に魅惑的でしょ。いつだって迷うわけです。
でも、今回の気づき、というか降りてきたタイミングで腹の底にストンと落ちた。ああ、そうだね、そうしよう、と素直に頷くことができたわけです。
そんなわけで、今年の抱負、いや人生の抱負が決まりました。
うまくやろうとしない。
いいじゃん。