お願いするのが苦手な人のSNSバトンリレーの扱い方
前回首が回らないお話をしましたが、今回は回る回らないでもバトンリレーのお話を。
昨今SNS上で流行っているバトンリレー。有名どころではちょっと古いけどアイス・バケツ・チャレンジとか、春先にはお笑い芸人の間で行われた「ギャグリレー」とか。今はSNSが世界中で浸透していて、数えきれないほど多くのバトンリレーがあって、いろんな人がつながって盛り上がりを見せていることと思います。
実は先日、首が回らない僕のところにもバトンが回ってきました。厳密にいうとバトンを持ったステキな方から「お渡ししていい?」って確認のご連絡を頂きました。
しかしながら僕は自分の考えや理由を申し伝えてそのバトンを受け取らずにお返ししました。バトンは無事に別の方に渡りましたが、バトンを受け取ったその方も僕に次のバトン走者への打診確認のご連絡をくれました。僕は前の方同様に自分の考えや理由を申し伝えてそのバトンを受け取らずにお返ししました。
お返ししたバトンはまた無事に別の方に繋がれて安心しましたが、せっかくお声がけ頂いたのに申し訳ない気持ちと、嫌な思いをさせてしまったのではないかという心配の気持ちで少し苦しい思いをしました。
もちろんお二方とも全く意に介さず僕にとてもやさしい言葉をかけてくれたけれど、この先バトンを返却することに対して気にされる方もいらっしゃる可能性もあるし、僕自身がバトンを返却する時に気を使ってしまうから、事前に僕の考えを表に出しておいた方がよいと思い記事にすることにしました。
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はじめに
はじめにお伝えしておきたいのは、僕は内容のスキ・キライがあってもバトンリレー自体に対して何か否定するとかは特にないし、面白そうなリレーに対しては観客としてみることはスキです。だけど僕が一人の走者としてバトンリレーに参加するかどうかを問われたら、僕は基本的には参加しないと答えます。
なのでこの記事を見た方は僕へのバトン渡しはご遠慮いただきたいですし、もしご覧になってない方が僕へバトンをお持ちいただいた場合も、この記事を連絡してご遠慮いただこうかと思っています。
ご理解いただきたいのは、例えSNSで仲良くさせて頂いていてもお一人お一人考え方は違うし、全ての人がSNSバトンリレーで盛り上がれるわけではなく、一定数はリレーへの参加を遠慮したい方もいるということです。そして僕はそのうちの1人です。
今まで敢えて言わなかったのか、わざわざ言う必要がなかったのか、、いやもしかしたら「基本参加しません宣言」なんて、こんなふうに後ろ向きなことをいうことによって嫌われはしないか、仲間外れになりはしないか、なんていう臆病な感情が出ていたのかもしれない。
でも今は、僕ができることやできないことを先に伝えて皆さんにわかっていただいた方が、いろんなことがスムーズにいくものだと思ってお伝えすることにしました。
少なからず僕が今SNSでお付き合いしている方々は皆さん総じて優しい。またもしかしたら近くに同じように悩んでいる方もいるかもしれない。そう考えるとここで記事にすることは多少は前向きなことなのではないかとも思うわけです。
僕がSNSバトンリレーに基本参加しない理由
僕が参加を遠慮したいという考えや性格からの影響として、明確な理由が3つあります。
①人にお願いすることが超苦手
②人からお願いされることがプレッシャー
③SNS上は自由でいたい、能動的でいたい
今回説明するのは上記3点です。これは今の僕の中では普遍的なものだからです。したがってその時々の状況・状態のように一定とは限らないものについては外しています。しかしながらその時々の状況・状態が大きくその判断を変える、もしくは影響を与える材料にはなり得ると思っています。
例えば一瞬で終わるような極簡単な内容のバトンリレーを繋ぐことによって困っている人を助けることができるとか、何かしらの社会貢献ができるということが明確になっている等、参加すべきポジティブな理由があったり。あるいは、参加しないと実際の生活に大きな影響(この場合はポジティブもしくはネガティブな影響が考えられる)があるなら、もしかしたら参加する可能性もある。100%絶対何があってもやらないというわけではないから基本参加しないという表現にしています。では、一つずつ説明します。
①人にお願いすることが超苦手
実生活から既にそうなのだが人にお願いすることがとても苦手です。仕事上の役割のもとで同僚やアシスタント、別部署の担当者等に必要な業務をお願いすることはしているけれど、それでも結構気を使ってしまう。その時々で違ってはいるけど、話しかけようとした状況で忙しそうにしていると、ちょっと無理してでも自分でやってしまうこともある。
こんなだから会社組織において出世からは外れているのかもしれないけれど、とにかくお願いする相手に対して必要以上に気を遣い、お願いしても大丈夫なのかどうかとか悩まなくていい事でもちょっと悩んだりしてしまう。
実生活でそうなのだから、例え仲良くさせてもらっているとはいえ実際にお会いしたことがない方に対しての心の中での気の遣い方は半端ない。半端ないのだ。普段気軽に話しかけたりしているけれど、特に初めて話しかけるときにはとにかく失礼がないように気を付けている。時々、特に女性noterさんへのコメントにこんな顔文字(😘😍)を使うこともあるけど、コメントした後にセクハラで嫌われやしないかとひやひやすることもある。
20年以上の付き合いである奥さんでさえなんか要らんこと言って怒られたりしているのだから、何を言ったら嫌な気持ちにさせてしまうのかなんて、人それぞれだし僕にはわからないのだ。
だから僕がもしバトンを受け取っても、その回す先の方にお願いするにあたってめちゃくちゃ気を使ってしまうだろう。特に僕がこのような考えの中でバトンリレーに対して、特にバトンを渡すことに後ろ向きなのだから、お声掛けしてバトンを受け取ってもらったとしても、本当に回して大丈夫だったのか? 今お仕事とか忙しくて大変じゃないか? 僕と同じように後ろ向きじゃないか? ほんとは嫌だったのでは? この趣旨のバトンリレーでも大丈夫? 一緒に盛り上がれってもらえる?、、、挙げだしたらきりがないくらいにいろんなことがあたまをぐるぐる回って悩んでしまい、疲れてしまう。
できるだけこんなことに悩んで疲れたくないという強い思いがあることも含めて、人にお願いすることが苦手なのです。
②人からお願いされることがプレッシャー
多分僕にバトンを渡そうとしてくれるということは、僕のことをとても評価してくれていると思う。この人なら、と思ってくれているからこそバトンを持って訪ねてくれているのだと思う。そのことに対してはとてつもなくうれしい。本当にうれしいのだ。
だけど、だからこそ僕はそれがプレッシャーとなって大きく自分自身にのしかかってしまう。特に前述したとおり「一瞬で終わるような簡単な内容」ならまだしも、受動的に受け取った内容に対して何か考えて表現することは、どうしたら面白くできるか・期待に添えられるかを考え始めるともう先に進めない。筆が走らないというのか、キーボードを打つ手が止まってしまう。そしてそうなると面白いことが書けない自分に腹が立つという悪循環が生まれてしまう。
多分他の人がそんな風に悩んでいたら、そんなに気にしなくてもいいですよって言えてしまうと思う。そして僕が最終ランナーと決まっているなら気持ちが楽になるが、「繋いでいく」ということが「繋げなきゃいけない」という気持ちに変換され、更に次にバトンを渡すということは自分の中の期限を早め、僕へのプレッシャーに拍車がかかる。結局それで僕は疲れてしまうのだ。
③SNS上は自由でいたい、能動的でいたい
みなさんは発信するのに活用しているSNSで求めていることは何ですか?多くの場合は承認欲求だと思うし、僕もやっぱり承認欲求を求めているのだと思います。自分が発信したことにスキやイイネがもらえるととてもうれしい。
僕はnoteをメインに発信しています。Instagramでも多少発信はしているけれど、noteは上手下手あれど自分の気持ちをたくさんの言葉で伝えることができるから好きなんです。
僕は特別伝えるという能力が長けているわけではなくて、幼少の時から作文とか感想文とか苦手だったし、人と話をしていてもうまく伝えるということに対して今でも苦手意識があります。
でもnoteで発信をし始めて1年4ヶ月。150記事程を公開している中で話しかけていただいたり、スキをいただけるようになってきたのは、多少なりとも僕の伝え方が向上してきたと思っています。これは本当にうれしいことです。
でもこうして一生懸命書いて、スキをもらえてよろこんでいるのって、自分が自由気ままに書きたいことを書いているからです。僕は公式や私設のコンテストや賞レースに参加することもあるけれど、興味があったり書きたいって思ったものじゃないと参加しません。そう思うもの、感じるものじゃないと上手に書けないし、何より僕が楽しめないのです。
楽しくないと書けない。すぐに飽きてしまう。何も思い浮かばない。やっぱり能動的に自分が選んで取りに行けるものじゃないと進んでいけないのです。
よくボケるしオヤジギャグもたくさん使います。きっと多くの人にとってはスベっていることでしょう。でも少なからずそのオヤジギャグを拾ってクスって笑ってくれる人がいるし僕はそれがうれしい。でもこれって自分が能動的に自由気ままに楽しんでかけている結果に過ぎないのです。
僕は割と自分の言葉が正直に文面に表れます。楽しんで書いている時は楽しいことが楽しいなりに書けるし、感情が爆発しているときなんかもそのような文面になります。この感情が爆発するようなことは今までここで発散したことでだいぶ落ち着いたけど、やっぱりたくさん書けるのは自分からモチベーション高くなっている時だと思うのです。
多分多くの方は実生活でいろんなことに我慢していると思います。生きるって悪くいってしまうと我慢の連続だと思います。もちろん楽しいこともあるけれど一生懸命働いてお金を稼いで生活するってとっても大変で、人との関わり合いがあれば必ず我慢しなければいけないことって多いと思います。
僕も実生活でいろんなことに我慢している。もちろん家族がいて、楽しめることを見つけたり幸せな面もたくさんあります。それでもせめてこのnoteの中では自由にいたい。一定のルールはちゃんと守ったうえで、ここでは自由にいたいのです。
お願いするのが苦手な人のSNSバトンリレーの扱い方
こんな僕みたいな考えの方が、バトンを受け取らざるを得ないとか、安易に受け取ってしまって立ち往生しちゃったりした時にどうしたらよいかってことを考えてみた。
まぁこれは僕がこういう場合にどうしようって時に使えるからこうしてこの記事に残しておきたいと思う。
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1 素直に返す。
今回僕がしたことです。僕の場合はちゃんと理由を伝えてわかってもらえたからよかったけど、中にはそれを許さない人もいるかもしれないので注意が必要。
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2 強制終了。
反応するけど「はいはい終わり」って終わらせたり、無視して終わらせたり。何れにしても主催者やバトンをくれた人、周りの思いとかはお構いなしに終わらせる。でもこんなことできるのは一部の人だって思う。お願いするのが苦手な人って、気の優しい人(自分で言うな?)で、どうしようって悩んじゃうんだからこんなことできない。
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3 お願いできないのだから、やりたい誰かに手を上げてもらう
これ、いかがだろう?
noteでの例を挙げると、自分のリレー記事で告知してそのコメント欄に一番で名乗りをあげてきた人にバトンを渡すとか。そうしたら自分が特定の人を選んでお願いしなくていいし、一番に手を挙げた人に渡すだけだから二番の人に申し訳なく思うこともないし、自分で手を上げてるんだからやる気とモチベーションに溢れていてきっとバトンリレーを盛り上げて次につないでくれるんだろうと思う。
だからと言って、誰も手を上げなかったらもうここで終わらせることを覚悟しないといけないけど。でもお願いできない自分が、それでも一生懸命そのリレーを繋げようとしたのだから、たとえ自分でそのリレーが終わってしまってもどうにかご勘弁いただきたいって思ってしまう。「誰も手を上げなかったら終わりにしまーす」と記事に書いておけばいいか。
バトンリレーの最後ってどうなるんだろうね。
ところでバトンリレーの終わりって誰がどう終わらせるんだろうね。前述のお笑い芸人によるギャグリレーは、始めた人(品川庄司の庄司智春氏)に戻ってきれいに終わったみたいだけど。
世の中のいろんなバトンリレーは最後どうなるんだろうね。特に期限の決まっていないバトンリレーって誰がどう終わらせるんだろう?主催者はどう考えているのだろうね。
バトンリレーもやり始めた時が一番盛り上がって、なんとなくだらだらと長く続いてしまうものもあるのかなって思う。個人的には一番盛り上がっている時に、盛り上がったままきれいに終わるのがいいなかなって思う。期間とか人数とか。ま、それも主催者のルール次第ですね。
どうしよう、「バトンリレーの最後はどうなるんだろう?」っていいつつ、この記事の締めくくりをどうしようか、良い終わらせ方がわからなくなっちゃった。まぁいいか。伝えたいことを短い言葉にできないのもいけないなぁと思いつつ、僕はこれからも一観客として皆さんの走りっぷりをひそやかに応援させてもらいますね。