生物と機械の違い:アーキテクチャ思考の重要性
私はシステムエンジニアの視点から生命の起源をテーマに個人研究をしています。
システム設計の世界では、開発するシステムの基本構造をアーキテクチャと呼びます。
アーキテクチャを決める人をアーキテクト(建築設計士)と呼ぶように、アーキテクチャは元々は建物の建築設計の用語です。
建物では、二階や屋根など上の方の部分の重さを、下側でどうやって支えるか、ということがアーキテクチャの最も重要なポイントです。
たとえば、レンガを積み上げて作る建物は、レンガの壁が重さを支えます。作りは単純ですが、あまり高い建物を作ることができません。
一方で、柱と梁を組み合わせて作る建物は、壁は二階や屋根の重さを支える必要がありません。このため壁には軽い素材を使用でき、高い建物を作りやすいアーキテクチャです。窓や出入り口を広くすることが容易ですし、地震にも強い構造にしやすくなります。
同じように、システム開発でもアーキテクチャの選択は重要です。アーキテクチャの選択の適切さが、システムの開発や開発後の機能追加や不具合修正の容易さ、システムの性能や安定性を左右します。
生命の起源を考えるとき、生物というシステムがどのようなアーキテクチャを採用しているかを理解することは極めて重要です。無生物の環境の中で自動的に生物が誕生する様子を説明することが生命の起源の研究ですが、生物のアーキテクチャを誤解していると、適切な説明は不可能です。
それはレンガ造り建物しか知らない人が、鉄骨の柱と梁でできているエッフェル塔の建て方を想像することができないのと同じです。
■鎖の集合
生物のメカニズムは、DNA、RNA、タンパク質によって成り立っています。
DNAは遺伝情報を保持することで進化のメカニズムの中核を担っています。タンパク質はDNAの情報を元にして生成され、生物の身体を構成したり、生物の活動に必要になるような他の化学物質を生成する機能を持ちます。
RNAは、DNAとタンパク質の中間的な役割を果たしています。
これらは全て鎖の形状の化学物質であり、生物はいわば鎖の集合として捉えることができます。
■緩やかな連携
加えて、これらの鎖状の化学物質は、細胞内の液体の中にあり、様々な細胞内組織に分布しています。
これは細胞内の決められた位置にしっかりと固定されているというよりも、比較的柔軟な形で浮遊しています。
このため、生物は鎖の集合が緩やかな連携をするシステムであると言えます。
これが生物の基本的なアーキテクチャです。
■機械と生物
精密機器や飛行機のような機械と同様に、あるいはそれ以上に生物は非常に複雑なメカニズムを持っています。
一方で、複雑であるとは言え、生物を鎖の集合の緩やかな連携であると捉えると、機械のアーキテクチャとは大きく性質が異なることになります。
機械は硬い材料が使われることが多いため頑丈に思えるかもしれません。しかし、メカニズムの動作については非常にデリケートです。
機械は多くの場合、1つの部品の破損や欠損であっても、メカニズム全体が動作不全になります。部品が正常であっても位置や組み合わせが少しずれるだけでも、同様です。
一方で、生物は比較的柔らかな身体を持ちますが、メカニズムは非常に壊れにくいという性質を持っています。これは、鎖状の部品同士の緩やかな連携という性質によるものです。
もう1つの大きな違いは、部品の作りやすさです。機械を構成する部品は、様々な形状をしており、様々な加工を施す必要があります。
一方で、生物の主要なメカニズムを構成するのは全て鎖状の化学物質です。それぞれの素材となる化学物質を結合するだけで、全ての種類の部品を作ることができます。かつ、結合する数は事実上無限の長さを持つことができるため、結合という加工だけで無限の種類の部品を作ることができます。
これらの特性を詳しく見ていきましょう。
■冗長化の容易さ
生物は、鎖の集合が緩やかな連携であることの利点として、冗長化が容易です。
冗長化とは、メカニズムが機能するために必要な部品をそれぞれ複数保持しておくことで、1つが壊れても別の部品を利用してメカニズムが機能不全に陥らないようにするという意味です。
部品同士が密接に接続される機械では、空間的な制約で冗長化が困難です。例えば3種類の歯車を組み合わせて動くメカニズムで、それぞれの歯車を2つずつ用意したとします。これをどれか1つが欠けたとしても動き続けるように組み合わせることは、難しい設計が求められます。しかも部品数が増えれば増えるほど、困難さが増します。
液体の中で緩やかに部品が連携する生物の仕組みでは、このような悩みはありません。液体の中で3種類の化学物質が連携して動作する化学回路がある時、単純にそれぞれの化学物質が液体の中に複数あれば、それだけで冗長化が実現できます。1つの化学物質が破壊されても、化学回路は機能し続けます。
■分散性の高さ
生物の緩やかな集合という特性は、メカニズムの部品を様々な場所に分散することも可能にします。
機械の歯車が連携するためには、歯車同士が密集している必要があります。一方で液体中の化学物質の場合、メカニズムの部品となる化学物質が遠く離れていても可能です。
メカニズムの部品となる化学物質がたとえ地球の裏側にあっても、液体が流動して、加工された中間の化学物質を運びさえすれば、連携することができます。
■生成のシンプルさ
前述したように、生物の主要なメカニズムを構成するDNA、RNA、タンパク質は全て鎖状の化学物質です。そしてどんなに複雑なDNA、RNA、タンパク質であっても、素材同士の結合だけで、作り出すことができます。
このシンプルさにより、素材が十分に存在し、結合が行われる環境さえあれば、全ての部品が生成される可能性があるということを意味します。
■生命の起源の誤謬
生物と機械のこのような違いに焦点を当てずに、単に複雑であるという事実のみを念頭に置くと、生命の起源は非常に不思議な現象で、稀に起きる奇跡的な偶然のように思えるでしょう。
生命の起源に関する議論では、時々、化学物質が密集したスープの中で、ジャンボジェット機が偶然組み立てられるようなものだ、というような表現がなされることがあります。
これは、複雑さについての比喩としては妥当かもしれませんが、ここまでに整理した機械と生物の違いに焦点を当てると、適切ではないことがわかります。
ジャンボジェット機の1つ1つの部品の形状が偶然に生成されることは想像できません。また、それができたとしても、機能が適切に動作するように配置されることもありえないように思えます。
一方で、生物の鎖状の部品であれば、合成のみで全て生成可能です。そして生成されてしまえば、水の中で緩やかにそれらが連携して機能する可能性もあります。
複雑さが同じだとしても、部品が生成される可能性と、それが連携して機能する可能性は、機械のアーキテクチャと生物のアーキテクチャでは大きく異なるのです。
■化学工場同士の製造の連鎖
生命の起源において、もう1つ重要な側面は、製造工程のアーキテクチャです。
無生物から生物が誕生するとき、初期状態の無生物環境から、複雑な生物の部品の生成と、その組み合わせによって生物ができるというイメージで議論されていることがあります。
これは、地球という化学工場があり、その中で生物が製造されたという単一の化学工場での構成を想定しています。
しかし、複雑な機械やシステムを作るとき、単一の機械や開発チームがゼロから全てを作り上げることは通常ありません。また、複雑な機械やシステムを開発する場合、それを開発するための道具や設備となる機械やシステムが必要です。
たとえば半導体を作るためには半導体製造装置とクリーンルームが必要です。そして半導体製造装置やクリーンルームの部品を作るためには、また別の道具や設備が必要です。それらの道具や設備もまた、別の道具や設備を必要とします。
生物も同様に考える必要があるはずです。
つまり、生物を構成する部品を製造するための化学工場があるとすれば、その化学工場には高度な道具や設備となる化学物質があるはずです。
そして、その高度な道具や設備となる化学物質を作るための化学工場も存在するはずです。その化学工場にもまた、道具や設備となる化学物質が必要となります。
このように化学工場で必要とされる化学物質を作る化学工場という連鎖が、生物の製造工程のアーキテクチャになっているはずなのです。
■化学工場同士の製造の連鎖ネットワーク
化学工場同士の製造の連鎖という製造工程のアーキテクチャを前提とすると、生命の起源は単なる化学物質の進化ではなく、連鎖する化学工場の集合の進化として捉える必要あります。
この視点からは、初期状態の地球は、生物の部品を直接を製造する工場ではありません。第2段階の化学工場が必要とする道具や設備を製造するための、第1段階の化学工場という位置づけになります。
そして、必要な化学物質が十分に製造されると、地球とそれらの化学物質の組み合わせは、第2段階の化学工場としても機能します。この時、地球は同時に継続して第1段階の化学工場としても機能し続け、第2段階の化学工場へ道具や設備となる化学物質を供給し続けます。
また、第2段階の化学工場は、単独の1種類の化学工場ではなく、多数の化学工場であり、その中には複数の種類の化学工場が存在しますし、同じ種類の化学工場が複数存在する場合もあります。
そして、第2段階の化学工場が製造する化学物質が十分に製造されると、第3段階の化学工場が機能し始めます。そして、これが繰り返され、第4段階、第5段階の化学工場の登場へとつながり、第10段階、第20段階と延々と複雑化していくことが可能です。
これらの化学工場は複雑な依存関係を持つネットワークを形成します。このような形で化学工場同士の製造の連鎖ネットワークが進化していくことで、徐々に複雑な化学物質やその組み合わせを製造することが可能になります。
■立体的な連鎖ネットワーク
これは、単なる化学工場が分散連携しているということではないことに注意してください。化学工場自体を製造することが連鎖している点が重要なポイントです。
生物の部品を作る化学工場だけではなく、生物の部品を作るための道具を製造していたり、その道具の製造のための別の道具を作る化学工場もあるのです。
これは、化学工場のネットワークを平面的なものではなく立体的なものとしてイメージする必要があります。水平につながっている化学工場は製品を作るために連携し、その製品が垂直方向の上位にある化学工場で使用される道具や設備となります。
現代の工業製品もこのような立体的な工場ネットワークにより製造されています。生命の起源の場合、前半で説明した鎖の緩やかな集合の性質により、地球全体の環境と水や大気の循環を利用して、この立体的な化学工場のネットワークを形成することが可能です。
■適切なアーキテクチャから見た生命の起源
化学工場の立体的なネットワークという製造アーキテクチャと、鎖としての部品と、その部品の緩やかな連携という生物アーキテクチャを前提として生命の起源を捉えると、大幅に考え方が変わってきます。
ガラクタ置き場に竜巻が起きてジャンボジェット機ができあがることはないというのは正しいでしょう。しかし、それは生物の話ではありません。
生物の話をするのであれば、まずガラクタ置き場に竜巻が起きて、ごく初歩的な低機能で精度の低い道具、たとえば弱い接着剤や簡易的なハンマーのような道具ができることがあるかどうか、という質問をするべきです。
そして、その初歩的な道具が偶然できあがったとしたら、そこからさらにほんの少し機能や精度が高い道具が作られることがあるか、という質問を考えます。そして、これが連綿と継続するかという質問についても考えます。
これは直接ガラクタの山からジャンボジェット機ができる可能性よりはあり得そうですが不十分です。道具ができるために様々な加工や厳密な組み合わせが必要だとすれば、あるレベルでこの連鎖は頭打ちになるでしょう。
しかし、生物は鎖状の部品を単純な合成で作れます。そして、組み合わせ方も緩やかで配置が厳密である必要がありません。このことも考えれば、よりこの連鎖は継続しやすいことがわかります。
さらに、このガラクタ置き場が1つの局所的な場所に限定する必要はありません。生命の起源においては、地球規模の空間で、そこにある膨大な数の湖や池をガラクタ置き場として利用できます。加えて、これらの湖や池はその中での対流による局所的な循環だけでなく、地球規模の水の循環の仕組みによっても、生成した鎖状の部品を循環させることが可能です。
つまり、論理的な仕組みとしてだけでなく、物理的な空間としても化学工場の巨大なネットワークを形成する下地があるのです。
■さいごに:考えるべき問い
エッフェル塔をどのようにして建てたのかを考える際に、レンガの家のアーキテクチャとレンガを焼く職人とレンガを積む職人による建設組織アーキテクチャを前提にしていたら、正しい工程を導き出すことは不可能です。
生物においてもこれと同じです。生物自体や製造工程の適切なアーキテクチャを前提にしなければ、生命の起源を的確に探求することはできません。
この地球の多数の湖や池の中で化学物質が撹拌され、結合によって鎖状の部品が無限の組み合わせにより様々な道具を形成できることが、話の前提になります。
この環境下で、初歩的な道具が偶然できる可能性は十分に考えられます。そして、その初歩的な道具ができたことで、次の段階の道具が偶然できる可能性もまた十分に考えられます。
そして、多数の池や水たまりの間で水が循環されて道具が交換される中で、より高度で複雑な道具ができたり、緩やかな連携が起きることもまた、十分に考えられます。
このようにして、初期状態の地球から、段階的に化学工場の立体的なネットワークが徐々に進化していくことができるのか。そして、その結果として生物が誕生できるのか。生物のアーキテクチャに基づけば、それが本当に考えるべき生命の起源に対する問いです。
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