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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #1

■はじめに

昨日、元AKB48の人気メンバーで、現在女優として活躍中の大島優子さんがスピード狂の女医役で出演していたドラマ「ネメシス」が最終回を迎えました。事件捜査の依頼人として登場した第1話以降そんなに出番は多くありませんでしたが、車のハンドルを握ると性格が一変するという特異キャラを豊かな表情と共に演じ切っていたのではないかと思います。

そんな優子さんですが、先日出演映画「明日の食卓」のトークショーにおいて、優子さんがAKB48時代を振り返り「アイドルは『天職』だと感じていた」と発言したことがネットニュースの記事となっていました。そして優子さんは「今はアイドル業に費やせるだけのエネルギーを保つことはできず、役柄によりエネルギーの量を調節することのできる女優業が楽しい」とも話していました。

彼女が『天職』とまで言い切った「アイドル・大島優子」って一体どんな存在だったのか?ということは、AKB48のコンサート映像やドキュメンタリー映画を見てもらえば、ある程度感じることはできると思うのですが、2006年から約8年に渡りAKB48の現場を通して「アイドル・大島優子」を目の当たりにしてきた私katopuの視点から改めてその偉大さを皆様にお伝えできればと思います。それでは、まずは私katopuと大島優子との出会いから・・・

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■2006.8.29 「お台場冒険王」チームKミニライブ

2006年8月29日。私は灼熱のお台場にいた。当時アイドル界の中心であったハロープロジェクトを筆頭に芸能事務所や雑誌グラビアアイドルのグループがフットサルチームを結成しリーグ戦を行うイベントが行われており、私は盟友B氏とともにイベントの観戦に訪れていた。当時我々のお目当てであったハロプロチーム(ガッタス・ブリリャンテス・HP)の試合がないインターバルは大会スポンサーの某ファミレスが運営するカフェでヲタ話に花を咲かせながら涼んでいるというのが定番であったが、この年は「違った」。B氏が「今日は『チームK』だから別に行かなくてもいいんだよね・・・」と発言。当時の私にとって、このB氏の発言は「異国の言葉」にしか聞こえなかった。

実はこの年のフジテレビの夏イベント「お台場冒険王」では、当時まだ駆け出しだった「AKB48」が連日ミニライブを行っており、当日はB氏が応援している「チームA」ではなく、4月に結成されたばかりの「チームK」が出演していた。私が多感だった頃「おニャン子クラブ」「とんねるず」を世に送り出した秋元康氏が、インターネットが一般的となった21世紀にあえて秋葉原(ドン・キホーテ秋葉原店8階)の専用劇場をメイン活動の場とするアイドルグループを仕掛けたことには注目していた。また「スカート、ひらり」で初出演したミュージックステーションのOAを見て、センターを務める前田敦子や高橋みなみよりも後方で踊っていた「ちょっと背の高いショートカットのコ(=篠田麻里子)がカワイイ」と私が言ってしまったばっかりに、麻里子推しであるB氏や友人K氏に「じゃあ(ドンキ前に)並びに行きましょう!」と言われまくり、まだハロプロに「義理立て」していた私は、その誘いを苦笑いとともに断っていたことを覚えている。

これまで「AKB48」とのコンタクトを拒み続けていた私だったが、この日は何故だかわからないが「一度見てみようかな・・・」という気になった。少し気になる存在となっていた篠田麻里子がいないにも関わらずである。フジテレビ社屋前特設ステージの前方がカメラを構えた多数のヲタ(※当時はイベント現場での写真撮影が認められていました。)で占められる異様な雰囲気の中、私とB氏はステージを遠巻きに眺めていた。ステージ上には名前も知らない8名の女の子がお台場の強烈な日差しとヲタのコールやシャッター音を浴びながらパフォーマンスを行っていた。後になって知ることになるわけだが、当時彼女たちが披露した曲は7月から始まった「チームK」の最初のオリジナル公演「青春ガールズ」からのピックアップであり、その時一番印象に残っていた曲は、前方のヲタ集団が最大の盛り上がりを示していた「転がる石になれ」だった。そして、メンバーの印象としては、いかにもアイドルっぽい雰囲気のチームAメンバーとは「毛色が違う」タイプのメンバーが多く、披露された楽曲の印象とともに私が抱いていた「AKB48」の
従来イメージを崩された気がした。そしてライブが進んでいく中で、私は
自然と「ある一人のメンバー」に目を奪われていく。

比較的長身のメンバー2名(※秋元才加と宮澤佐江。「ツインタワー」と呼ばれる。)がパフォーマンスの中心的存在であることは間違いないのだが、その間隙を縫うように華奢な体型ながら「メリハリの利いた動き」と「強烈な目力」で私の深層心理に強く訴えかけるてくるメンバーがいた。彼女こそ後に私の「不動のイチ推し」となる「大島優子」であった。イベント終了後B氏に彼女のことを聞いたのだが、チームA及び篠田麻里子推しの彼は彼女のことが良く分からない様子。私の心の中もまだまだハロプロを応援する気持ちが大きかったため「意外と曲良かったし、麻里子以外にもカワイイ子いるんだね」くらいの認識にとどまってしまった。実は私は「初代チームK=大島優子出演」の「青春ガールズ」公演を見ることができなかった。何故あの日の翌日にでも「青春ガールズ」を見に行かなかったのだろうか?あのお台場での初遭遇から15年経った今でも大島優子をテレビ画面等で見るたびに私は後悔の念に駆られてしまう。 (#2につづく)

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