泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #17
■ 2009.3.7 「十年桜」劇場盤握手会
優子・梅ちゃんと3S撮影をした日から数日後、優子がNHKドラマ「風に舞い上がるビニールシート」に出演することが発表された。国連高等弁務官事務所に勤務するサポートスタッフ役ということで、劇中専門用語を交えた英会話のシーンがあることから、撮影やリハーサル以外に英会話レッスンにも時間を取られたことで1月後半から約2か月間劇場公演に出演することができなくなってしまった。「演技の仕事」は「優子の夢=女優業」そのものであり、ファンは優子が少しでも夢に近づけたことを喜ぶべきと私は当時から考えていた。ただ「劇場の大島優子」はテレビ画面で演技する優子以上の輝きを放っており、その輝きを見る機会が少なくなることを残念に思う気持ちも同時に持ち合わせていた。そんな多忙な優子であったが、3月にリリースされるキングレコード移籍第2弾シングル「十年桜」の劇場盤握手会に参加することになったのである。
「劇場公演には出演しないのに握手会には参加する」
まだAKB48が本格ブレイク前で当時はさほど不自然に感じなかったが、今振り返ってみるとAKB48の活動軸が「劇場公演」から「握手会」にシフトし始めたのが2009年だったと思う。
2008年2月に当時デフスターレコードと契約していたAKB48が「桜の花びらたち2008」を新曲として発売しようとしたが、特典のメンバーポスター44種類をコンプリートした者に「春の祭典」と称したイベントに招待するという企画が「独占禁止法に抵触する疑いがある」との指摘を受け特典企画は中止、複数買いの返品対応を行うという出来事があった。当時のAKB48の音楽CDの購買はヲタさん達に支えられており、一般層への浸透はまだまだ図れていなかった。この独禁法抵触の指摘により「ヲタへの複数枚販売」ができないとなれば、デフスターにとってAKB48は「不良債権」以外の何物でもなくデフスターは「桜の花びらたち2008」のリリースを最後にAKB48との契約を終了した。レコード会社を失ったAKB48はその後携帯配信限定楽曲を発表するもののCDリリースができないことでテレビの歌番組に出演することができず、ますます一般層への浸透が難しくなり、劇場公演をこなしながらヲタ相手に権利を絡めたガチャを売って団体の活動を維持している状態であった。そんな「ジリ貧状態」のAKB48に救いの手を差し伸べたのがアニソン中心のリリースを行っていたキングレコードだった。
2008年10月、キング移籍第1弾シングル「大声ダイヤモンド」をリリース。同月名古屋・栄で劇場公演をスタートさせたSKE48の当時11歳の松井珠理奈が一人でジャケットを飾り、その珠理奈と前田敦子のWセンター体制が敷かれるが、優子は選抜メンバーに入ったものの第一列から外される。優子の実力や現場での人気を踏まえたら優子ファンとしては到底受け入れることができない待遇であり、そんなシングル曲の販促握手会のために2週間ほど劇場公演の予定が潰されるというデフスター時代にもなかった運営の方針に私は小さな反感を覚えたため「大声ダイヤモンド」握手会に私は積極的に関わろうとは思わなかった。また「ピンチケ」と蔑称される若いファンが現れたのもこの時期からで、平日にもかかわず学校をサボってCD販売列に並び、握手会での酷い売名行為に及ぶ様は古い人間である私にとって許容できるものではなかった。
そして移籍第2弾シングル「十年桜」劇場盤の発売時期を迎える。前回は秋葉原と栄の劇場でしか販売されなかったが、今回はネット上(キャラアニ)でも販売されることとなった。その発表はトガブロ上で受付開始数時間前にひっそりと発表され、運良くその情報を目にしていた私は受付開始直後に友人分も含めて10枚確保することに成功する。そして3月7日のAKB48劇場での握手会に優子が参加することとなり参戦。当日販売分購入列の並びがこれまで見たことがない長さだったが無事優子参加回の整理券2回分を入手し、優子とポラ撮影以来言葉を交わすことができた。
私「正月以来だね」
優子「あれ?そんなになりますか?」
私「(2月の)石丸電気のイベは風邪ひいて行けなかったので」
優「そうなんですか・・・」
と2~3事話したところで肩叩き。
私「忙しそうだけど収録頑張ってね!」
優「はい!ありがとうございます!」
2年前のBINGO!の時と比べると時間は1/3程度になり、話したいことをほとんど話すことができない。その2時間後の2回目の握手では優子の言葉を引き出すような会話を心がける。
私「モバメで(ドラマで)英語のシーンがあるって書いてあったけど・・・」
優「難しいんですよ。英会話のレッスンを受けてるんですけど・・・」
私「レッスンするんだ!」
優「共演者の皆さんと会話して練習してるんですが、うまくできなくて」
私「じゃあ、ソフトバンクのお兄さん(ダンテ・カーヴァーさん)とも話してるんだね」
優「アハハハハ、はい(*´▽`*)」
1回目よりは優子の言葉が聞けたので良かったけど、もう言いたいことは手紙で伝えるしかないと感じた。そんな中新規ファンの酷い状況も何件か目撃することになる。若いファン以外にもたまたま自分の数人前にいた「いい歳をした新規ファン」も優子に「認知」してもらおうと何度も何度も名前をアピールし、係員の剥がしに抵抗し優子の手を放そうとしない姿に残念な思いを抱くとともに、その時の優子の「困ったような表情」が強く印象に残った。自分も優子に同じように思われているのかもしれないが、優子を困り顔にするような振舞いだけは絶対にしないと私は改めて心に誓ったのである。
その翌週末に行われた原宿(ベルサール原宿)で行われた劇場盤握手会では当時の握手会の運営方法が限界を迎えてしまう。原宿握手会参加の劇場盤は平日の3月3日から6日にかけて販売したのだが、7・8日の当日販売分が品薄で2枚しか買えなかったこともあって急遽原宿でも当日販売を行うことを発表したことで運営の予想を遥かに超える多くのファンが殺到してしまった。私は参加しなかったのだが当日販売分を求める列は千駄ヶ谷駅前まで伸びたとか。結局発行した握手券を消化することができないファンが多数発生したため、後日追加の握手会が行われることとなった。勿論この追加握手会の影響で劇場公演はまたもや潰されてしまう。「愛すべきバカ運営」が相変わらずの無計画のまま闇雲に劇場盤を販売したことと、遠慮という言葉を知らない多くの「ピンチケ」が会場に押し掛けたことが結果として「劇場軽視」を生み出したとも言える。その後AKB48劇場でのCD握手会は次作「涙サプライズ」をもって最後となり、握手会会場は「東京ビッグサイト」や「幕張メッセ」など大規模展示会場へと移り変わってゆく。 (#18につづく)
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