泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #21
初めてのAKB48選抜総選挙が行われた翌月、AKB48は日本武道館でコンサート「AKB104選抜メンバー組閣祭り」を行い、その最終公演にて「組閣」と称した「チームシャッフル」を行うことを発表した。優子は秋元才加や宮澤佐江らとともに引き続きチームKに所属することとなり、新たにチームAの主力メンバーである板野友美や峯岸みなみ、チームBから若手中堅メンバーの仁藤萌乃らを迎え入れることとなったのだが、10月スタートを予定していた新チームによる公演は、秋が訪れても一向に始まる気配を見せず、AKB48劇場では旧チーム編成による公演が行われていた。そんな中、10月17日に21歳の誕生日を迎えた優子の生誕祭公演が10月19日に行われることとなり、私は「100回入場MVP」(以下「100MVP」)特典の最優先入場権を行使して参戦した。ここで「100MVP」について、私個人の出来事も交えながら書いておきたい。
■ 2008.8.21 100回目の入場達成
AKB48劇場公演に通っていたヲタが目指すものの一つが「100MVP」である。これを達成すると、(1)初日・千秋楽等を除く好きな公演に最優先(1順より前)で入場できる(2)公演後に出演メンバー全員との記念撮影(隣には指定メンバーが座る)(3)出演メンバー全員のサインが入った100MVP・Tシャツの授与(4)劇場通路に100MVP達成のネームプレートが掲示される(現在はHP掲載)。という特典がヲタに与えられる。初めて私が劇場に入った2006年11月には「遠い話」と思っていたが、優子や麻里子見たさに劇場通いを続けるうちに2008年8月21日K4おやつ公演にて100回入場を達成した。
特典の行使時期について、2008年当時の私の考えは「優子聖誕祭での行使」の一択だった。ところが、この年の生誕祭公演は平日に行われ、私がどうしても仕事を休めなかったため行使を断念。その後Kフルメン公演等での行使を狙うも、フルメン公演が他のメンバーとの生誕祭と重なったり、優子自身が選抜仕事やドラマ出演等で多忙となったことによる休演が続いたりとK4公演期間中には特典行使できず。K5「逆上がり」公演の頃になると、優子の休演が更に多くなっただけでなく、他のメンバーも外仕事での休演が増えてきてフルメンが揃うことが叶わなくなってきた。集合写真撮影に関しては、優子、篠田麻里子、宮澤佐江、仁藤萌乃、北原里英と私の好きなメンバーとは既にSLガチャ権利による2Sポラ撮影を終えていたこともあり、
「メンバーの前で好きなコをバラされる」集合写真にはあまり執着が無く、
組閣前の大運動会(2009年10月開催)の入場特典でチームK全員のサイン入り絆Tシャツを手にしていたことから100MVP・Tシャツも特に欲さなかったため、私は「100MVP優先入場」のタイミングだけをはかるようになっていた。
■ 2009.10.19 「逆上がり」公演(大島優子生誕祭)
大島優子の生誕祭公演が平日の10月19日に開催されることが発表されたが、優子の「心友」である秋元才加と宮澤佐江がAKB歌劇団(※同年11月にシアターGロッソで上演されたミュージカル)の舞台稽古のため休演が確定しており、その他体調不良等の理由で正規メンバーが半分の8名しか出演しないという事態であった。「才加と佐江がいない生誕祭なら、新チームになってからでも遅くない」と私は考えていたのだが、「とあるブログ」を見たことがきっかけで当初の方針を覆して優子生誕祭で100MVP入場権を行使する。
AKB48の人気上昇とともにメンバーに「認知」を求めるヲタが異常なまでに増加していたことは以前の回にも書いていたが、その代表的な人物とも言える「関西出身の『自称』優子ヲタ」の優子生誕祭にかかるブログ記事を私は見てしまった。記事によれば「仕事で優子生誕祭に行けないのだが、行けないとわかっていてチケセン申し込みをし、中途半端な番号のキャンセル待ちが当選してしまった」というのである。ここまでは良くありがちな話なのだが、コメントを寄せるピンチケ界隈とのやり取りの中で「どうやって仕事をサボろうか考え中」とか「行けないんだけど諦めきれない」など、いい歳をした大人の社会人が臆面もなく「ピンチケ思考的な」コメント返しをする様に私は怒りを抑えることができなかった。劇場デビューがK4公演という「出遅れ」を何とか取り返そうと、CD握手会における露骨な売名行為(実は#17の「優子の手を離さず自分の名前を連呼していた中年男性」と同一人物)は数知れず、実際の自身の行動と反する奇麗ごと記事を臆面もなく公開し、いかにも「優子のことを想っています」的なアピールをする様に私はずっと反吐が出るような思いを抱いていた。
「あんな奴を優子の生誕祭に入場させてはいけない」
今で言えば「自粛警察」的な発想だと言われてしまうのだろうが、当時の
私の価値観では奴の発言や考えを認めることができなかった。そこで自分がMVP権利を行使し入場を果たすことで、対象外入場の人数を少しでも減らすことができればと考え、正規メンバー半数休演という普通だったらチケセン申込しないような平日公演で権利行使を行ったのである。
センターブロック最前列で生誕祭を迎える私。冒頭の寸劇で優子は「女優」への夢を語る。野呂さんのフリで「背徳の団地妻」を演じ「お父さん、いけませんわ。もうすぐクリーニング屋さんが来るんで」には少々苦笑い(-_-;)
その後優子は観客からの大きな「優子コール」を受けながら、いつものように多彩な表情で我々を魅了。そして公演はアンコール前最後の曲であるM13「ファンレター」を迎え、最後のサビで優子は大粒の涙を流す。
この年の優子は「喉の手術による入院」や「選抜総選挙での悔しい2位」があり、そして武道館での「現行チームKの解体」発表など、優子に様々な動きがあった年だった。いろんな思いが「ファンレター」の歌詞や実際に優子ファンから受け取った「ファンレター」の一言一句とシンクロしたのだと思う。生誕祭でのコメントで優子は「今日は休演も多く寂しい部分もあるが、他の現場で頑張っているメンバーのことを思うと、自分も負けてられないという思いを強くしている。「女優」大島優子としてもこれから大きく飛躍したい。」という「決意表明」を行う。その優子の言葉を聞いて、権利行使の理由はともあれ、この公演に入れたことを嬉しく思うことができた。
さて、例のヲタが生誕祭に入れたかといいますと、残念ながらギリギリ対象内で入場できてしまったようで、結果的に私の目的は達成されなかった。しかし、この生誕祭を契機として私は「奴の様な道は絶対に歩まない」という
覚悟が出来上がった。
「もう優子を握手会で縛り付けることを自分だけでもヤメにしよう。」
「劇場公演を見て、出演する映画やドラマを見て、その時感じたことや激励の言葉を『ファンレター』に綴ることで優子を応援しよう。」
あの時私が導き出した最良の答えはこれしかなかった。実際CDリリース絡みの握手会で優子のところに行ったのは2010.2.20(K5千秋楽前日)の「桜の栞」通常盤仙台握手会が最後となった。
ちなみに例のヲタはその後劇場公演の入場機会減少や個別握手会の枚数制限を受けて全国握手会に活動の重点を置くこととなり、最悪事例として405枚の全国握手券を諸々の手段で入手し20分以上優子に粘着するという私の
スタンスとは真逆の行動を行っていくこととなる。優子が体力的にも精神的にも一番苦しかった卒業前1~2年間において、優子を握手会で拘束する象徴的な存在となったのであるが、数年前にそのヲタは優子への売名にに心血を注ぎ過ぎたのか、優子に執拗に粘着したことへの罰だったのか、天に召されてしまったらしい。現在AKB48から独り立ちし「チョイ役」も厭わずテレビやスクリーンで「変幻自在ぶり」を発揮している「今の優子の姿」を見ることができないのも、あの当時から「応援」という名を借りて自己アピールに腐心し、真に優子の「夢の実現」を応援していなかったことに対する「報い」であろう。ただ、私とは形は違えど「優子のことが好き」という奴の思いに嘘は無かったと思いたい。そうでなければ、当時の優子の苦労が報われない。 (#22につづく)
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