泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #25
■ 2011.6.9 第3回選抜総選挙
3月に発生した東日本大震災の影響により横浜アリーナでのコンサートや「桜の木になろう」握手会などAKB48関連イベントは軒並み中止となってしまたっが、AKBグループはすぐさま震災復興支援プロジェクトを立ち上げ、手始めに日本赤十字社に5億円の義援金を寄付し、その後再開したイベントの会場等でのファンからの義援金受付やメンバーによる被災地慰問等の復興支援活動を行い、AKB48を「国民的アイドルグループ」と呼ぶメディアが増え始め、これまで以上に世間の注目を集める存在となる。そんな状況下で開催された第3回の選抜総選挙は、前回中間発表からの逆転で第1位を獲得した優子の連覇か、はたまた前田敦子が第1回以来の首位奪還なるかが争点となっており、双方のファンを巻き込んでの激しい選挙戦が予想されていた。しかし、この第3回総選挙の楽曲は敦子主演のフジ系ドラマ「イケメン・パラダイス」の主題歌となることが既に決定しており、勝負の行方は「開票前から決まっていた」ようなもので、結果はこの二人が3位以下の得票数を大きく引き離し、敦子が返り咲きの1位、優子は2位と落ち着くところに落ち着いた。敦子はスピーチで「私の事は嫌いでも、AKBの事は嫌いにならないでください」という「名言」を残し、2位に敗れた優子も同じように「名言」を残すが、その「名言」は私個人的に更にAKB48との距離を置くようになった「トリガー」となる。
優子「皆さんの票数は『愛』です」
この当時総選挙の投票券は、劇場盤CDには含まれておらず、通常盤CDに封入されており、購入枚数制限により劇場盤握手会の旨みが少なくなっていた影響から、通常盤CDを握手機会と投票券の確保に必死だったピンチケや接触厨が買い漁る状況となっていた。そういう連中に握手券等を売って利益を得ようとする「転売屋」も通常盤を購入し、総選挙絡みの通常盤は軒並みミリオンセールスを記録するようになる。しかし、その「ツケ」を最後に払わされるのは、いつだって「通常盤握手会に参加させられるメンバー」であった。長時間にわたる握手により優子をはじめとするメンバーは疲弊し、質の悪いヲタの中には他のヲタと競艇のスタート位置の様な駆け引きをして極力最後に並び自分が一番最後の握手会の相手になろうとする「鍵閉め」という愚行が横行し、結果的に握手会の終了時間が予定より遅くなり優子たちに更なる負担をかけるようになっていた。私はそんな握手会に自分はもう加担したくないという思いからAKB48のシングルCDを購入しないようになっていたため、優子が「投票行為=CDを買い漁る行為」を「ファンの愛」と総選挙の場で宣言したことに大きなショックを受けてしまった。「愛」という言葉を優子が使ったことから、自分にとっては「失恋」に近いショックだったかもしれない。優子が自分に多くの票を投じてくれたことに対して、そう言うしかなかったことは理解していたつもりだったが、優子の発言が握手会に必死になる連中を擁護するかのように当時は聞こえてしまったのだ。
この第3回総選挙以降、私はAKB48のCDは一切買わなくなった。これまで必ず予約していたAKB48出演テレビ番組の録画もやめた。月に1回当たれば御の字の劇場公演への参戦以外で積極的にAKB48のイベントに絡もうと思うこともなくなった。そして「前田敦子システム」とも揶揄されたAKB48の「最優秀助演女優賞」的な位置づけに置かれてしまった優子については、一日も早いグループからの卒業を望むようになった。優子が卒業した後に私が見た2011年のAKB48活動の様子を記録したドキュメンタリー映画の中で、2位に敗れた優子が同じチームK秋元才加や宮澤佐江ではなく、敦子と同じチームA篠田麻里子や小嶋陽菜の腕の中で泣き崩れていた場面があった。2位という結果になることがわかっていた状況で「首位陥落」という役を演じ、同じ事務所の敦子を引き立てなければならなかった優子の心中を、既に大人だった麻里子や陽菜が慮らずにはいられなかったことを表すようなシーンだったと思う。しかし、私の思いと裏腹に優子のAKB48における重要度が更に増してしまう発表が2012年3月に行われる。それはAKB48の歴史における大きな節目となる発表であった。
(#26につづく)