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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #12
■2007.7.22 「BINGO!」発売記念握手会
「会いに行けるアイドル」
AKB48のデビュー当初からのキャッチフレーズ的な言葉であり、人気爆発前までのその主たる場所は「AKB48劇場」だったわけだが、その当時からCDやグッズ販促のための「握手会」も頻繁に行われていた。AKB48劇場以外にも、出演したイベント会場や全国のCDショップ店内でも行われており、そこで推しメンと握手をしながら1分程度言葉を交わし、自分の顔を覚えてもらう(いわゆる「認知」)というのがヲタさん達の楽しみ方の一つであり、AKB運営も「メンバー認知」を積極的にグループの売りにしていたところもあった。
私が初めてメンバーと握手をしたのは、記憶が不確かな部分はあるが2006.12.24クリスマスイブ当日A3公演後の出演メンバー全員による握手お見送りサプライズだったかと思う。ただ、その時は流しの握手だったためメンバーと会話などは成立しなかった。その後もBLT-U17イベントで出演メンバー(宮澤佐江・小野恵令奈・河西智美)と流し握手をしたくらいで、CD販促のマンツーマンの握手会は未体験だった。そんな私であったが、「脳内パラダイス」公演→「僕の太陽」公演の流れで大島優子の素晴らしさに触れてしまい、優子と一度言葉を交わしてみたいという強い衝動を抑えることができなくなり、2007年7月22日の「BINGO!」発売記念握手会に参加してしまう。
当日朝8時過ぎに石丸SOFT1に到着。雨の中にも関わらず、すでに200人以上の行列ができていたが、9時半過ぎに通常盤1枚を無事購入し、優子が出演する12:00の回の参加券を確保。集合時間まで何を話そうかと思いを巡らせ脳内で何度も会話のシミュレーション。そうこうしているうちに集合時間はやってきて優子の列に並び、5~6分程度待って自分の順番。この日の優子は白い半袖の上着に紺のワンピ。髪型はポニーテール。劇場で見る優子と比べて地味目な印象だったが、こんな感じも嫌いではない。直前まで何を話すか迷ったけれど、初めての優子とのコンタクトの時間を有意義なものにしたかったので、あの当時自分が優子に一番伝えたかったことをぶつけてみた。
優子「おはようございま~す」(両手でガッチリ握手)
私「ひまわり組公演何回か見させていただきましたけど、今回も優子ちゃんイイですね!」
優子「そうですか?ありがとうございます。」(あの瞳でじっと見つめられる。話そうとしていた事が頭から飛びそうになる。)
私「そういえば、東京厚生のDVDはもう見ました?」
優子「はい、見ました。どうでしたか?」
私「優子ちゃんのソロ(泣きながら微笑んで)、キレイに撮れてたよね。」
優子「あ~あのソロですか・・・」(自信無さげな声のトーン。話題選択を誤ったか(焦))
私「そうそう、あの曲の最後に優子ちゃんニコッと笑いますよね」
優子「はい。」
私「あの笑顔に詞の世界のすべてが詰め込まれているよね」
すると、優子の瞳が輝きを増す。
優子「感じてもらえましたか?わぁ~嬉しいです!」
「感じてもらえましたか?」って事は、やはり優子は「最後の微笑み」に「意味」を持たせようとしていたんだ。やっぱりこの子はスゴい!と感激に浸っていたところで係員に肩を叩かれ時間となってしまう。
私「これからも頑張ってね!」
優子「はい、ありがとうございます!」
時間にして3~40秒だったけど私は満足だった。そして、初接触で凡な会話にもちゃんと対応してくれた優子には感謝しかなく、優子のことが益々好きになってしまった(/ω\) この初接触を境に、翌月は「僕の太陽」握手会、優子出演映画「伝染歌」上映館(東劇)での握手会、11月は「夕陽を見ているか」握手会、ムック本「48現象」発売記念落書き会(握手付き)と参加した。でも、AKB48の応援活動はあくまでも「劇場公演」中心と私は決めており、コアなヲタさん達のような複数ループはしなかった。別に自分のことを優子に覚えてもらう必要はなくて、自分が優子と話をして自己満足に浸っているだけで幸せだったのだ。
あの優子との初接触から2~3年後、AKB48の人気が爆発し、劇場公演への入場が困難になってくると、AKB運営は「会いに行ける場所」の「代替」として「握手会」を重視するようになる。自分にとって劇場公演の合間の幸せの時間だったはずの「握手会」が劇場公演の予定を潰してまで実施されることを私は受け入れることができなかった。しかも、結成当初の古参ヲタさんが経験した「旨み」を同じように味わいたい「ピンチケ」「ゆとり」と呼ばれる「新規ファン」が大量発生し「握手会」の現場は「カオス」と化していく。この「握手会重視への方針変更」は、後に私がAKB48に対して距離を置くようになった主因となる。そして私の優子への思いのカタチに変化が現れ始めたのもこの時期だった。この話はもっと後のエピソードで話していきたいと思う。 (#13につづく)