泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #4
前回は私のAKB48劇場初入場について触れましたが、今回はその翌日の通常公演初入場について触れたいと思います。
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■2006.11.19 「誰かのために」公演(星野みちる星誕祭)
AKB48劇場への初入場を果たした翌日の11月19日。チームA3rd.「誰かのために」公演のチケを購入するため、友人B氏と朝6時からドン・キホーテ秋葉原店横の歩道に並ぶ。現在AKB48劇場への入場は完全メール抽選制となっているが、この当時は160枚の当日券の先着順販売が行われていた。劇場オープンの日には一般入場客が7人しかいなかったことは現在でも語り草となっているが、オープンから約1年が経とうとしていたこの日の公演は、チームAメンバー・星野みちる(ちる)の「星誕祭公演」だったということもあり、早朝にもかかわらず多くのヲタさん達が列をなしていた。冬に向かう11月ということで朝の冷え込みは厳しかったが、並んでいるヲタさん達は「辛い」という表情も見せず、むしろヲタ仲間との交流を楽しんでいるかのように当時の私には見えた。かく言う私もB氏から彼の入場体験に基づく座席位置の情報やチームAメンバーにかかる話を聞いているうちに10時のチケット販売開始の時間を迎えてしまった。早めに並んだ甲斐もあって無事に夜公演のチケット(20番台)を購入することができた。夜公演の時間となり劇場カフェスペースに集合。私自身通常公演では初めての入場抽選の結果は前日に続いて中程の順番。前方の座席は絶望的で、かつ良好な視界が確保できる立ち見最前は古参ヲタさんによってキープされている状況ではあったが、何とかセンターブロック7列に座ることができた。メンバーによる影アナ(※メンバーが場内に観覧上注意等をアナウンスしたに後に一言挨拶的なコメントを行う)に続き「Overture」が流れて公演の幕が上がる。
先日の日本青年館コンサートでは披露されなかった「月見草」でスタート。センターポジションを務めていたのは前田敦子でも高橋みなみでもなくて、当時中学2年生の峯岸みなみ(みぃちゃん)だった。後になって知ることになるのだが、年齢に似合わずダンスや表情が色っぽく見えることが災いし、これまでのチーム公演では重要な位置を与えられなかったことに悔しい思いを抱いてきたという。そんな彼女がオープニングの「月見草」で私に与えた印象は結構強烈で「これは、ただの地下アイドルの公演ではない」と感じさせた。続く「Warning」もこれまたアイドルっぽくない楽曲で、Bメロ→サビの転調が大変印象的でカッコいい!!序盤2曲で私がこれまでAKB48に抱いていた固定概念のようなものが見事に吹き飛ばされてしまった。まず何よりも楽曲のクオリティの高さに驚かされた。アイドルを間近で見られるということ(直接会いに行けること)を売りにしているだけかと思っていたのだが、音楽ライブの興行として立派に成立していることが個人的には最大の驚きだった。
その後公演は進みM10「小池」を迎える。B氏の推しメンであり、私もチームAで一番カワイイと思っていた篠田麻里子がグループ曲ながらメインを張る楽曲。青年館コンサートでも披露されていたが、キャパ300人の劇場で見る「小池」は格別のものだった。ホームページの楽曲情報で歌詞が私の頭に入っていたことで、麻里子がこの曲のメインを任せられた秋元康氏の意図も読み取ることができた。男にとってみれば麻里子の様な女の子が「恋愛敗者」の側になるということは意外ではあるが、歌詞の「小池」の状況を思うとある種の「爽快感」を感じることもできる。その後の公演で麻里子がセンターを張るユニット曲や2011年のジャンケン大会でセンターを獲得した「上からマリコ」も生まれたが、篠田麻里子の代表曲といえば私は「小池」以外にあり得ないと今でも思っている。
そしてこの日の公演の最後に行われた星野みちるの「星誕祭」では、ファン有志が星をあしらったバースデーケーキを用意し(※現在の聖誕祭はケーキの模造品が使用されているが、当時はファン有志がケーキ屋に特製ケーキを発注することがあった)、さらに「星の命名権」までがファンから「ちる」にプレゼントされた。照れ隠しなのか素直に感謝のコメントを述べようとしない「ちる」ではあったが、A1のユニット曲「あなたとクリスマスイブ」のパートナーであるリーダー・折井あゆみが「ちる」に向けた手紙を読み上げると「ちる」の目から涙が流れた。
他のメンバーが3公演開催に対し不満を言う中、ちるが「多くの人に歌を聴いてもらえるチャンスなのに弱音を吐くんじゃない!」と皆を叱咤した姿が
忘れられない。
「ちる」が「AKB48」からシンガーソングライターを目指すという
「覚悟」を折井の読んだ手紙の内容から感じることができた。近年のAKB48メンバーの夢の終着点が「AKB48自体」になってしまっている現状では考えられず、「ちる」に限らず当時のメンバーは自分の将来に対する「夢」や「野心」を持ってAKB48の活動を行っており、そんな「ギラギラした姿」が私の心を大きく動かしたことは疑いようがなく、ヲタとの交流を含めたハロプロ絡みの活動に閉塞感を感じていた私は、その活動に終止符を打つことに躊躇がなくなっていた。そして益々「大島優子」が公演で躍動する場面を一日も早く見てみたいという衝動に駆られることとなる。 (#5につづく)