人間相手の関係と、自然相手の関係
「本当の自分」を探すという問題で、何度か、僕は、本当の自分とか無いという話をしていますが。最近、思っているのは、これは関係性の問題であって。というのは、例えば自分の性格にしろ、それは「本当の自分の性格」があるわけではなく、対象物との関係性なんですよ。家族に対しては横柄だけど、動物に対しては優しい、友達に対しては理知的に振る舞う、これは、どれが本当というわけではなく、それぞれの関係性において、そのような行動パターンが出てくる、というだけのことだなと思うわけです。
一人でいる時にしたって、関係性というのは、あるんです。本を読む、ゲームをする、マラソンをする、それぞれ、外界との関係性があります。さらに細かく言えば、マラソンが好きと言っても、ジムのルームランナーで走るのは嫌いかもしれない。となると、外界の中で景色を見ながら走るというのが好きなのかもしれない。それも、同じコースではなく、日本中、世界中のマラソン大会に出て、そこで流れる風景を見ながら走るのが好き、という人なら、それは、そのことが好きなのであって、走ること自体が好きではないかもしれない。
というように、さまざまなことも、あくまで、関係性なんです。世界の中で、自分がハマる関係性の網の目の中に、パズルのピースがハマるがごとく、ストンとハマることが幸福なんだろうと思うわけです。人間関係の網の目、自然界の網の目、資本主義社会のビジネスの網の目、いろいろなものがあります。
関係性しか無いと思えば、本当の自分なんていうものが無いのは、明らかです。というか、どれもが、本当の自分です。家族に対して横柄なのも、動物に対して優しいのも、友達に対して理知的なのも、本当の自分である、というか、自分はそのような関係性においては、そのように振る舞うシステムである、ということです。
当然、その関係性が多ければ多いほど、幸福になる確率は高くなる。トライアンドエラーの試行回数が増えますから、10回より100回の方が、自分というピースがハマる場所に出会う確率は高いです。でも、最初から完全にハマるというのも難しくて、ある程度、自分の行動にも可塑性がある。要は、慣れる、ってことです。ピースの形も、多少は変わる。凹が凸にはならなくても、その角が取れて丸みを帯びるぐらいのことは、あるだろう、ってことです。相手型も変わりますしね(人間の場合は)。そうやって、良い関係が出来上がっていく。
今、相手型も人間の場合は変わると言ったけど、自然界、まぁ、人間に近い、犬とかは猿とかは微妙ですが、昆虫とかは変わらない。人間に懐くとかも無い。となると、自分が変わるしか無い。しょうがないですよね、雨が降ってきたら、それはどうしようもない、自分が雨宿りするとか、傘をさすとかしないといけない。空に向かってやめろと言ったところで、通じませんから。
ということで、変わらない相手である自然界相手との関係性、そして変わる相手である人間の関係性があるわけですが。現代人の多くは、変わる相手である人間相手の世界で生きていますから、どうにかなるという全能感もあるんだと思います。なぜ思い通りにならないのか。そういう発想が出てくるのも、人間相手だからかな、と思う。これが、自己責任論にも通じると思います。雨が降ったり、冬に寒いのは、自己責任とは関係の無い世界ですから。はい。またあした。
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