「あなた、お流ししてくるの?」
朝、子どもたちが学校へ出ていった後(私が先に出ていく日もあるが)、慌ただしく食卓の上のお皿をシンクに持っていき、それらを洗う。ものすごく急いでいる時はそんなことできないから夫に任せるが、朝の皿洗いはだいたい私の仕事である。夫もできない日は、帰宅するまで洗っていない食器がシンクに残ったままの日もある。ちなみに現在、食洗機は壊れていて手で洗うほかはない。
お皿を洗うことができた日、そういう日は洗いながら頭の中で聞こえ出す声がある。それは、
「あなた、お流ししてくるの?」
という女性の声である。声の主は、かつて私が勤務していた職場の年長の女性。
あれは、うちに第一子が誕生して産休を取ったあと、復職して慣れない育児と職場への遠距離通勤にひいひい言っていた頃だと思う。何かの拍子で、その年長女性と同じプロジェクトチームで仕事するようになった。彼女は私の母と同い年でありその頃60代であった。仕事をつづけながらお子さんお二人を育て上げたワーキング・マザーの大先輩である。
彼女自身は確か、その頃お孫さんが誕生したタイミングだったように思う。うちにも同じ年ごろの乳児がいるので自然と育児や家事の話になった。女性が結婚したら退職して専業主婦になることが当たり前のように思われていた時代に、母でありながら仕事を続けることは並々ならぬ苦労があったとのことである。
その彼女がかつて勤めていた職場に、彼女より少し年上のワーキング・マザーがいた。ある日、家族への朝食の世話を話題にした折にその女性は彼女にこう言ったという。
「あなた、お流ししてくるの?」、と。
つまり、朝ごはんの支度をするのは当然のことながら、その後自分や家族が食べた食器を洗ってから自分は職場に来ている。あなたもそうなの? という問であった。朝食の支度だけで精一杯であった彼女は、恐れおののいたという。
その時の、お会いしたことのないその女性の質問、「あなた、お流ししてくるの?」が、その後ずっと私の耳に取りついている。今でこそ、多少余裕をもって皿を洗ったり(もちろん、洗わない日もある)しているが、その当時はとてもとてもそんな余裕はなく、「お流し」なんていつになったら落ち着いてできるのか……と思っていたからであろう。
その女性の時代には、皿洗いを代わりにやってくれる家族もおらず、また時代的に食洗機もなく、そして自分が家事の一切を引き受けるという覚悟と諦めがあったのだろう。更に言えば、「お流し」を自分は毎日やっているという自信。ひょっとしたら、「あなたはきっとやってないわよね」というマウンティング……。
今は食洗機があるから便利、と現代に生きる人々は思うかもしれない。うちにももちろん食洗機はある(前述の通り壊れているが)。だが、機械に食器をセットするのすら無理な朝、というものも世の中には存在する。皆さんは、どうでしょうか。お流し、しておられますか。(了)
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