LINE隠れエフェクトから感じる変化…プレゼント文化の本質とは
LINEの隠れエフェクトから「義理チョコ」がなくなった話、どれくらいの方がご存じだろうか。私は昨日くらいにラジオで知った。
そもそもラジオでは昨日今日と、バレンタインにちなんだチョコのエピソードが大いに盛り上がっていた。ああ、そうか。2月14日か。ワーママライフ真っ只中の私にとっては手前の連休がそれだったから、ピンと来るまでに少々時間はかかってしまった。
複数のDJさんが共通して驚いていた話題は「自分チョコ」であった。
自分チョコ。そんな呼び名は初耳だったが、自分へのご褒美としてプレゼントするという話でそれ自体は珍しくはない。で、この自分チョコ、しかもLINEの隠れエフェクトに追加されたというのである。さらに驚くことに「義理チョコはなくなった」ともいうのである。
やってみた。確かに義理チョコには反応しない。
義理チョコは昨年までは悲しい表情をしていたそうだが、今年はもはやバレンタインの風物詩としても除外通告をされたのか。個人的には本命だの義理チョコだの、ただただ自分や友達たちと作ってドキワクしてプレゼントするまでのフローを盛り上がってた世代なので、この切りっぷりは少々切ない。
義理チョコ文化を思い返せば、2010年ごろには私の勤め先でも部長が部内通達で配るな置くなと毎年アナウンスをしていた。世間的には本命以外=義理チョコ、くらいのシンプルな図式だった頃だと思う。私の場合は男女比率は圧倒的にメンズが多い部門だったこともあって、金銭面などの負担も配慮してくださっての通達だったらしい。
今回のエフェクトで感じるのは、自分の想いを素直に表現するツールとしては健在なのかな、ということ。友達、推し、そして自分自身。渡す範囲が鮮明になったことで、プレゼントしたいイメージもより鮮明に、より良いものをプレゼントしたくなるような気もする。
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誰でも均等に、たくさんの人に向けて数をプレゼントする時代から、大事な人に、大切な人に丁寧に選んで行くバレンタイン。でも本命へってなると、その本質は案外変わらないのかもしれない。
義理チョコの代わりが友チョコ、の位置付けになったのかもしれない。今日もぼーっと歩いていたら、女子高生が隣の机がチョコで溢れてたと言って颯爽と通り過ぎた。モテる人は変わらずモテているのかもしれない。