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小説:17分25秒前の未来

【残り17分25秒】

敗北の瞬間、佐倉大佐の頭には2つの数字が浮かんでいた。光速――299,792キロメートル毎秒。
戦況を伝える電磁波が地球まで到達するのに必要な時間。17分25秒。

アステロイドベルトを埋め尽くす火花が、仲間たちの最期を告げていた。一閃する光線、膨れ上がる爆発の光球、放射状に広がるデブリ(破片)の群れ。戦艦の装甲を貫く度に、新たな光点が宇宙空間に描き加えられていく。

艦内モニターには冷徹な数値が並ぶ。距離、速度、損害状況。全ては物理法則に従って、正確に記録されていた。

「艦隊損失率85%」
「第一、第三、第五戦隊、全滅」
「旗艦プロメテウス、反応消失」

副官の声が虚ろに響く中、佐倉は冷たく輝く小惑星群を見つめていた。漆黒の空間に浮かぶ無数の岩塊は、戦場を見下ろす観客のようだった。

戦闘開始からわずか12分。地球参謀本部の作戦は、この冷酷な宇宙空間で、もろくも崩れ去っていた。

【残り16分48秒】

佐倉は通信画面に浮かぶ艦艇番号を見つめた。上級指揮官の戦死を告げる赤い表示が瞬きを続けている。気がつけば、彼が最古参となっていた。デブリ回収業者あがりの予備役が、この残存艦隊の指揮を執る立場に立たされている。

「降伏すれば、少なくとも諸官の命は…」

佐倉の言葉を、副官が遮った。
「参謀本部は私たちを見殺しにした。降伏しても…」

通信スクリーンに次々と点灯する残存艦からの応答。皆、同じ結論に達していたのだ。最後まで戦うという意志。少なくとも、参謀本部の思い通りにはならないという決意。

だが、どうすれば?

佐倉は戦況図に目を走らせた。敵艦隊の圧倒的な数。完全に包囲された自軍の位置。次々と更新される戦力分析。どう考えても、活路は見出せない。

今、彼に託された16隻の艦と、その乗組員たちの命。素人の采配で、彼らを無駄死にさせるわけにはいかない。

生き延びる術はあるのか。

【残り15分03秒】

閃光が艦橋を突き抜けた。

「回避!」

佐倉の叫びは遅かった。巡洋艦メルクリウスが、至近距離で爆散する。衝撃波が艦体を揺らし、モニター画面が乱れる。

「光学センサー、機能停止!」
「レーダー感度80%低下。小惑星からの反射波が」
「通常視認システム、復旧まで3分以上」

次々と上がる報告に、佐倉は歯噛みした。視界を塞がれては、敵の次撃を防ぐこともできない。

その時、デブリ回収業者時代の古い記憶が蘇った。
「補助スキャン、重力マップ」

「しかし、大佐。戦術データとしての精度が」
副官が困惑の色を隠せない。

「出せ!」

画面が切り替わる。佐倉は思わず、懐かしい画面配置に微笑んだ。彼が長年見慣れた重力干渉パターンが、今、戦場の姿を別の角度から照らし出していた。

佐倉の目が重力マップに釘付けになった。
デブリの軌道、小惑星の重力場、敵艦隊の陣形――全てが、ある可能性を示していた。

【残り13分17秒】

「戦術データの構築、完了しました」
副官が報告する。その声には躊躇いが混じっていた。
「ですが大佐。このような戦術は前例がありません。他艦は、民間の…」
言葉を濁す副官に、佐倉大佐は静かに頷いた。

佐倉は通信チャネルを開いた。
「全艦へ」
一瞬の躊躇。それから、静かな声で続けた。
「これは命令ではない。提案だ。共に戦うか、撤退するか。各艦の判断に委ねる」

画面に戦術データが展開される。重力マップ、デブリの予測軌道、配置転換の指示。

送信完了。
残存する15隻の反応を待つ間の沈黙が、異様なほど長く感じられた。

『果たして皆、このような奇策に従ってくれるだろうか』
そう思った瞬間だった。

画面上で最初の一隻が動き出す。続いて二隻目。三隻目。
まるで氷が溶けるように、艦隊が新たな陣形へと流れ始めた。
一隻として撤退を選ばなかった。

【残り11分18秒】

佐倉には分かっていた。所詮これは戦闘のプロに対する素人の奇策。敵に優秀な指揮官がいればすぐに対応してくるだろう。

だが──
画面に流れる重力場の予測データを見つめながら、佐倉は密かに計算していた。
この戦術は残り11分、有効であればそれで良いのだ。

薄暗い艦橋で、15隻の戦艦が描く新たな陣形が、静かに形を整えていった。

【残り9分55秒】

戦場は爆散した僚艦のデブリで溢れていた。装甲板の破片、引き裂かれた艦体、飛び散る機器の残骸。それらが宙域を漂い、光を反射して無数の光点となって瞬いている。

最初の変化が現れる。

「クレーター級小惑星D-17とD-19の重力交差領域で、デブリの流れが変化」
「同様の現象、E群小惑星群でも確認」
「デブリの移動速度、予測値の98%で推移」

佐倉は頷く。15年間のデブリ回収で見てきた光景そのものだった。直径80キロの小惑星が作る重力の「結び目」に、デブリが捕らえられ始める。宇宙空間にできた渦のように、破片が集まっていく。

「プロキオン、スコーピオン。陽動開始」
二隻の戦艦が、デブリの渦に沿うように機動を始める。その動きは破片群の中に紛れ、敵のセンサーをかく乱するはずだ。

「ヘリオス、アポロン、シリウス。待機位置へ」
三隻の重巡洋艦が、小惑星の影に身を潜める。デブリの流れが敵を誘導してきた時、一斉射撃の準備だ。

「各個艦、位置調整許可。誤差0.3%以内で」

大艦隊なら不可能な精密な動き。15隻だからこそ可能な、繊細な制御。佐倉はモニターで各艦の微調整を確認する。経験から培った勘が告げていた。この重力場なら、この破片の流れなら、必ず敵を誘導できると。

【残り8分12秒】

「プロキオン、スコーピオン、射撃開始」

陽動艦の一斉射撃が、デブリの群れを貫いて敵陣を照らす。意図的に外した砲撃。それでも敵艦隊の陣形が僅かに乱れる。

「敵艦隊、反応開始」
「左舷から迎撃艦が接近」
「陽動艦への集中砲火を確認」

佐倉は重力マップの数値の変化を見つめる。デブリの流れは予測通り。敵の選択肢は、確実に狭まっていた。

【残り6分44秒】

「敵艦、回避行動開始。ただし…」
副官が一瞬言葉を切った。
「動きが読めます。デブリの流れが彼らの選択肢を限定している」

佐倉は頷いた。
敵とてこの宙域を埋め尽くすデブリの危険性は理解しているはずだ。だが、彼らは知るまい。この混沌とした破片の流れの中に、小惑星の重力が作り出す「秩序」が存在することを。

デブリ回収業者として何度も見てきた光景。破片の渦に巻き込まれないよう、敵艦は予測可能な回避ルートを選択していく。まるで見えない水路に導かれるように。

待ち伏せ艦への合図まで、あと2分。

【残り4分58秒】

「全ての待機艦、発火準備」
「目標、予測回避路地点KJ-27からKJ-31」
「デブリ密度、最大値に到達」

佐倉は重力マップ上の赤点を見つめる。そこに敵艦が現れるまであと3秒。
2秒。
1秒。

「一斉射撃、開始!」

待ち伏せていた三隻の重巡洋艦が、一斉に砲火を放つ。デブリの流れに制限された敵艦の選択肢は、まさに彼らの狙撃地点に収束していた。閃光が暗黒の宇宙を切り裂く。

最初の一撃で、敵主力艦二隻の装甲を破砕。続く掃射が、制御不能に陥った敵艦を次々と捕らえる。

【残り3分26秒】

「敵第二戦隊が陣形を崩しています」
「味方の損害、ゼロ」
「デブリの流れ、予測値通りに推移」

矢継ぎ早に入る報告に、佐倉は表情を変えなかった。
これは偶然の勝利ではない。デブリと重力の織りなす法則が、必然的にもたらした結果だった。

戦場に新たなデブリの帯が広がっていく。
今度は敵艦の残骸が、かつての味方艦のデブリに混ざり始めていた。

【残り1分52秒】

「D-17小惑星群、重力場変動。デブリ流が北極面へ」
「プロキオン、カルネアデス。20度後退。新しい渦に巻き込まれるな」
「了解。後退開始」

休む間もなく、佐倉は指示を続ける。
撃破された敵艦の残骸が新たなデブリとなり、重力場のパターンが刻一刻と変化していく。その変化を読み、対応し続けなければならない。

「ヘリオス、アポロン。三時方向にデブリの収束点が発生。そこを突け」
「シリウス。残存敵艦を九時方向のデブリ帯に追い込め」

佐倉のデブリ回収で培った経験が、いま戦術として結実していく。小惑星の引力が生み出す「渦」。デブリが描く「流れ」。それは宇宙の生きた方程式だった。

「敵の約8%に損害を与えました」
「敵艦隊全てにおいて陣形の乱れが発生しています」
「包囲が崩れました。9時方向に空白が観測されます」

佐倉の目の前で、戦場は絶え間なく姿を変える万華鏡のようだった。デブリと小惑星と艦船が織りなす天体力学の中で、たった15隻の艦隊が、デブリを操る魔術師のように戦っていた。

【残り0分00秒】

佐倉は静かに微笑んだ。

艦橋のモニターには、戦場のデータが映っている。15隻の小さな艦隊が描いた軍事上の奇跡。

これら全ては光速で地球へと伝播していた。

いま地球参謀本部のモニターには、既に降伏を決定したであろう彼らの目の前で、現場からの反撃開始のデータが次々と表示され始めているはずだった。

机上の空論では決して理解できない現実の宇宙を突きつけられる瞬間、参謀たちは言葉を失うと思われる。

参謀本部は即座に次の決断を迫られるだろう。
戦場から遠く離れた地球から、17分25秒前の未来に続く次の展開の。

佐倉の目の前で、新たなデブリの流れが、宇宙空間に新しい軌道を描き始めていた。

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