蓄膿、作曲
蓄膿が続いている。
たいていの場合、私の風邪は喉からきて、熱が出て下がっても鼻づまり、たんが、続くという感じなんですが、御多分に漏れず本日も蓄膿が続いております。
蓄膿が続くと何が良くないって飯がマズイ。マズイというか味がほぼしない。
味を感知する機関として代表格に挙げられるのは舌ですが、この状態になって感じるのは嗅覚の重要性です。鼻から抜ける風味みたいなのを通して多くの「味」を知覚していたんだな、と思い知るわけです。失って初めてわかる、というやつです。
味覚においては舌と嗅覚が相互補完の関係であって、どちらが欠けてもいけない訳なんですな。
中盤の底で遠藤が潰し屋として機能するからこそ、マクアリスターが8番として華麗なラストパスを供給できる訳で。
黄金期のミランでいえばガットゥーゾが守備に奮闘するからピルロがレジスタとして輝く訳で。
あるいは田中賢介、森本稀哲が出塁に徹し、小笠原がダメでもセギノール、稲葉で返すという布陣があるからこそ相手投手は特定の選手との勝負を避けられず打線がまさしく線として機能する訳で。
相互補完というのはどの分野においても大切な訳ですね。
こういう一見関係ない分野でも、方法論は通底しているってことよくあると思うんですけど、ビジネスの世界で講演とかやってるような連中が言ってるの見ると、うるせぇな、またその語り口かよバカヤロウ、と思ってしまうんですよね。
ある種の偏見ですね。これは。
閑話休題
蓄膿に由来する問題は味覚に限った事ではなくて、聴覚にもかなり影響がある。
音の聞こえ方がモワッとなるし、ひどい時はなんか耳の奥がバリバリと鳴るときもある。
これは音楽を鑑賞する、演奏する(とくに発声)の両面においてかなり問題になってくるので非常にムカつく。支障がありすぎて。
書いてて思ったけど、蓄膿によって奪われる楽しみ多すぎないか。
メシを食う楽しみ、音楽を聴く、演奏する楽しみを奪われるなんて。
人生のほとんどじゃん。そんなの。
早く健康になりたい。早く人間になりたい。
そんなこんなでダウナーな日が続いてたんですが、その状態ではありながら作曲をしてたら何曲か一定の形まで持ってこれたことで気持ちは体調に伴わず晴れやか。
蓄膿よりも作曲が行き詰まったり、活動がなんか上手くいってないな、という時の方が体調が悪い気がする。精神由来で全てが灰色みたいな。
精神由来の方は自分で設定している何かしらをクリアすればいいだけなんだが、整理できてなくて設定したものがよくわからん時などもあり、蓄膿より厄介な事多し。
蓄膿は療養すりゃいつか治るんだからまだ良いのかもしれない。
がんばれ俺の自然治癒力。